2012年5月16日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(6)

800pxhands_off_gaza_stop_the_bombin                  吉田 悟郎 (旧制成城高校新聞部OB)

「巷間、“アラブの春”については、ねじ曲げた「お話」や「想定外」といった言い方が多いが」として、板垣は言う。「ほんとうは、2000年のパレスチナインティファーダ(蜂起)を皮切りに、革命にむかう運動の積みかさなりの前史があったのです。私(板垣)は、それをずっと観察してきました。」ここで2011年に中東で起きたムワーティン=市民革命について考えるための重要な着眼点を挙げることにします。これは中東を知るためのカギとしても役立つでしょう。
革命は、米国の覇権とイスラエルの横車とを批判する運動の爆発。それらを支え、それらとこっそり手を結んで生きのびてきたアラブ諸国の政府が、はげしい抗議の突き上げに揺さぶられる。だから、この革命は一国ごとの民主化より、世界の不公正な仕組みの変革をめざすもの。
そのように広範囲にひろがる政治変動が引き起こされる土台は、パレスチナ問題。(私が20世紀の70年代から板垣らに学び、「パレスチナ問題は、今や激変する世界史の核芯だ」と感覚的にいってきたもの)。それは、宗教や民族のあいだの紛争ではなく、植民地主義の支配  それに対するレジスタンス=抵抗。つまり、欧米が殖民国家としての「ユダヤ人の国」イスラエルをつくり支えるが、そのイスラエルによって排除・追放されるパレスチナ人が民族浄化に抵抗するという重層の構図。
そのようなパレスチナ問題が生まれる根源にあるのは、ヨーロッパ(欧米)が歴史を通じて抱え込んできた反ユダヤ主義(ユダヤ人いじめ、差別、迫害)。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の「償い」だと言ってパレスチナ人に犠牲を押しつけながら、ユダヤ人を隔離し棄民するイスラエル国家をつくる。この偽善のボロを出さぬため、欧米は、人工国家イスラエルをまもる。イスラエルは中東で欧米の利益をまもるため、軍事国家としてニラミをきかす。
「パレスチナ問題は、植民地主義を「仲直りと平和」や「民主化」の問題にすり替えてみせるバーチャル装置だが、パレスチナ人同胞の苦難を自分の苦難と感じる世界中のイスラーム教徒を騙せない。そこで,イスラーム教徒をテロ容疑者に仕立てる「反テロ戦争」をグローバル展開する。「反テロ戦争」は根拠が危ういイスラエル国家の危険を管理する防衛戦争であり、全世界を混乱に陥れ、パレスチナ問題の扱いを全人類に肩代わりさせて欧米は道徳的責任をまぬがれる、「自己破産」のための戦争でもある。」 そう、板垣は説く。この脳みそをフル回転させないとわからないカラクリ、何度か読み返してもらえば、だんだん事柄が見抜けるようになると思います。わかってしまえば、次のような謎が自然に解けるはずです。それでも、まだ残る疑問については、自分で調べ、考えてください。
 中東で市民の立ちあがりが、国を超えてひろがったのは、なぜか?
 パレスチナ問題が、全世界を巻き込む問題であるのは、なぜか?
 欧米の国々が、中東やイスラームに とかく干渉がましいのは、なぜか?
米国とイスラエルが、やたらと戦争をしたがるのは、なぜか?
 1979年、イラン革命―米・イスラエルがイランから追い出される―米国はイスラエルとエジプトに国交結ばせ、二国拠点に中東支配再編成―2001年以降の「反テロ戦争」(アフガニスタン・イラク・パレスチナなど)―米国覇権の衰えとイスラエル国家の危機とめどなく進行―イスラエルのパレスチナ人しめつけはアパルトヘイト時代の南アも顔まけの息を飲むむごさ―ヨルダン川西岸では入植地拡大、隔離壁を張り巡らせ水源を奪い、ガザ地帯は封鎖された幽閉地にされ、物資の流れを断ち、住民の生命を脅かし、爆撃と暗殺作戦―イスラエルに協力してガザを封鎖するムバーラク政権への市民の抗議は、自分の人間らしさを取り戻す行動となる―こうして、中東の革命の嵐がおきた。
 
ムバーラク政権は倒されたが、今もつづくシオニスト・イスラエルのパレスチナ人、ガザや西岸そして東エルサレムに対する形容できないような暴虐野蛮な行動は、毎日の『ブナ林便り』のBOICOTTIL サイトやIMNECサイトそしてTHE ELECTRONIC INTIFADAサイトを見れば、ますますひどさを増している。まさに、<野蛮化・地獄化>した<近代世界史>の極致であり、世界の平和と自立・公正を愛する市民たちにとっても最大の汚点である。私も歩行不全でなかぅた若い時代にBoicottilの抗議行動に参加した。1879年以来、米国は、対外援助の全体の約半分をイスラエルとエジプトに注ぎ込んできたのだから、エジプトの革命の意味は絶大である。米国の衰退とイスラエルの孤立とはさらに加速するだろう。こうして、中東の市民たちの要求は、世界のありかたを変革することなのです。
 
中東で、米・欧・イスラエルが主人顔でもてあそぶパレスチナ問題の不公正さは、世界中で植民地主義と人種主義・軍国主義がつくりだすあらゆる紛糾(こんぐらかり)のハブ(中心)のような位置にあります。パレスチナ問題が、これまでのありとあらゆる思い違いへの誘導・誘惑を乗り越えて、あらためて不公正・不正義の世界の象徴的「結び目」と意識され始めたのです。ホロコーストにいきついた欧米社会のユダヤ人差別の歴史に加えて、パレスチナ人の世界離散と「ユダヤ人国家」(人種主義+ポストコロニアル植民地主義の国家)とを積み増ししてしまった欧米中心主義。それは、イスラーム憎悪の「反テロ戦争」によって、いよいよ末期的な状態にいたっています。
 
このことが、イスラエル国家に反対するユダヤ人を含めて、ひろく世界の民衆の間で直感的に見抜かれるようになりました。中東で始まった新・市民(ムワーティン)革命が人類史の新しい段階を開くとき、ムワーティンが市民の元祖だということが顧みられることになるでしょう。中東の社会は、古来、都市・商業・政治を生きるなかで、個人主義・合理主義・普遍主義をはぐくみ、ネットワークとパートナーシップの組織のあり方を活用してきました。イスラームは、そのような生き方を思想と実生活の体系としてまとめてきたものといえます。その基本であるタウヒード(多即一)の理念は、イスラームが世界史的に展開させはじめた超近代性(スーパーモダ二ティ)の土台なのです。ヨーロッパの近代はそのような展開のローカルな(ヨーロッパという小半島)現れでした。政治社会を成り立たせる「社会契約」は、のちにヨーロッパ人の理論家たちが理屈だけこねますが、7世紀の契約文書として預言者ムハンマドが締結した「メディナ憲章」の記録が残っています。ところが、ヨーロッパはイスラーム文明から多くを学習することによって拓いたヨーロッパの近代を、世界史のなかの排他的な中心=模範としてすえつけ、近代はヨーロッパからひろまっていくのだという「語り」を武力でもって裏付けるようになりました。これが欧米中心主義です。
 
イスラーム教徒たちも、その勢いにおされて、タウヒードの精神を弱めてしまったのでした。いま、<世界を変える>と<自分を変える>が同時に強調されるようになったのは、そのためです。タウヒードの働きを活発にすると、世界は「欧米  イスラーム」といった二項対立で成り立ってなどいないことが、はっきりしてきます。事実、世界中で市民たちの立ち上がりの多角的な共鳴・共振が、無限大のネットワークを形づくりつつあるではありませんか。以上が、板垣が「どうしても言わなくては」と感じたパレスチナ問題の位置づけである。私も20世紀の70年代から板垣のパレスチナ問題との取り組みのあとについて、細々とではあるが中東―イスラーム、そしてパレスチナ問題の学習を続けてきたと思う。そしてそのころから、<パレスチナ問題こそ世界史の核心ではないか>と考え続けたのである。そして91歳にもなった老輩として21世紀の初め、<欧米中心主義>の世界史にわれわれが完全にいなされている、飼いならされているという惨状をつくづく感じるのである。世界史を探って半世紀以上、欧米中心の<世界史>こそ<世界史>だ、それ以外の歴史などあるはずがないと信じている人が殆どであること。この壁の厚さ、重さ!蟷螂の斧のたたかいはまだ始まったばかりだ。そして、歴史の進歩、変遷についても「先進」欧米基準という観念が日本史、自国史を考える場合も変わらず、原始―古代―中世―近世―近代―現代という時代区分やその社会構成、文化変容の基準についても欧米に「右へならえ」であること。進歩―先進/後進のものさしは明治以来、欧米を手本にしてきていることは庶民大衆を含めて変わらないのではなかろうか。(つづく)
    (次回は「私とパレスチナ問題」-その一 私の十字軍学習-

 参考

THE ELECTRONIC INTIFADA
IMNEC
boycotti 
パレスチナ問題解決の必須条件としてイスラエル民衆の目覚めと決起がある。
拙稿ネット イスラエル人の目覚めー軍務拒否運動など 
シオニスト・ユダヤ人の現代イスラエル建国は一種の十字軍だった
フィリピン南部では欧米キリスト教背力の来寇前にはイスラームがひろがり始めていたマニラでもムスリムが南洋日本人町の日本人と軒を並べて店をはっていた。
その後、南部の残るムスリムに対する北を占拠したキリスト教軍隊の南部への十字軍はずっと、今でも続けられている。
拙稿ネット 21世紀のモロ戦争ーフィリピン南部、ミンダナオ・バシランとグリーンベレー
高橋和夫の国際ブログ

 

 

 

 

 

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2012年5月 3日 (木曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(5)

800pxoccupy_wall_street_crowd_2011_          吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

 
 板垣は、私の言う<始まりの始まり>をもっと論理的・歴史的―世界史的に明確にする仮設を出してくれた。
垣仮設をも少し詳しく見てみよう、まず、かれは<あたらしい市民革命>の<目標>について、五つの目標を整理し仮設する。確かに、童子丸開 のバルセロナ報告『15M キンセ・デ・エメ』というスペインの2011年5月市民蜂起現地報告や田中龍作 のローマ(原発の国民投票時 )やNYオキュパイ―1%の横暴に抗議する99%の市民行動)の現地報告を、<ブナ林便り>や<ちきゅう座>のサイトで読んだ人はこれに近い感想を持ったにちがいない。まず、板垣が第一にあげている「サティヤーグラハ」について
サティヤーグラハ(サンスクリット語起源の言葉、真理への執着・こだわり=愛と勇気)の運動によって、世界変革と自己変革を同時並行ですすめる非暴力の不服従をつらぬき、不正な権力に身をさらして抗議し抵抗する直接行動、「自分の生き方を変えることで世界のあり方を変えよう、人間の倫理と世界の革命とを組みあわせよう」というのである。マハートマ・ガンディーの南アフリカ・インドで指導した解放運動に、インド人ムスリム同砲と協力する中から編み出した抵抗方式。―こう、板垣は説明する。
 
非暴力で不服従という言葉は聞いたことがあるだろう。アヒンサー(不殺生,非暴力)の思想も、ここにつながる。私が生きてきた91年間、シベリア出兵から今のイラクアフガンの戦争、南北スーダンの戦争まで戦争の絶えた事はあっただろうか。暴力・武力は対抗的な暴力・武力によっては一掃されることはない。暴力は,一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。マハートマ・ガンディーはいう、「非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するよりも雄々しいことを、信じている」「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものなのです」。「現代の戦争の主な原因は、地上のいわゆる弱い民族を搾取しようとする非人間的な競争にあるのではなかろうか。」中島岳志の『ガンディーからの“問い”―君は「欲望」を捨てられるか』(日本放送出版協会、2005年)という本や、子供向けには目良誠二郎の『平和と戦争の絵本()非暴力で平和をもとめる人たち』大月書店、2003年)という良い本がある。
 
第二の目標として板垣が整理し指摘したのは次のことである。架空の理屈や議論というようなものではない、先にあげたような市民蜂起・市民行動のなかで、おのずから湧き出ている市民たち自らの生み出した行動様式ともいえるものなのである。
ネットワークとパートナーシップという組織原理で社会を築く、指揮・命令したり管理・統制したりする上下関係ばかり増やしていく社会に反対。もともと、イスラームの教えるタウヒード(多即一、ちがいを大事にすることこそ一体性の土台――バラバラでいっしょ・多様性あふれる宇宙の創造主を信じる)の考え方がネットワークを世界的にひろめた歴史がある。ヨコに(対等に・多角的に)つながり合いと相乗作用(かけあわせをひろげていく個人やグループのおのおのが、いつも「まんなか」性と「はじっこ」性とを同時に発揮するようなネットワークのはたらきを、これからは市民自身の手で強めていく(国や企業に踊らされるのではなく)世界全体で活力をもつ地球社会をめざすのだという方式が示されている、革命もこのやり方で進めようとしています。-まさに、われわれの「オトナ~そしてオトコ中心社会ではない、われわれにとってはこれから創造してゆくべきいわば未来社会ではあるまいか。
板垣があげている三つめの目標は、
「正義・公正」と「安全・平和」を実現するため、たゆまず努力する。
侵されつづけた「人間の尊厳」・「人間存在の重み・一人前の誇り」・「自由と自立」・{多様性の尊重と連帯」は、気を緩めずに回復しつづけなくてはならないという感覚でいよう。そこで、植民地主義・人種差別・軍国主義{戦争と切り離せない経済・社会のしくみ}と、それらを丸ごと根っこで支えているオトナ中心主義とに、つよく反対することになります。欧米中心主義や歪んだ資本主義が、軍事力の威圧、金融操作の手品、国際機関の決定だという締め付け、マスコミの世論操縦に支えられて、資源や市場の不公正な支配にしがみつき、競争と格差を拡大して人間の生きる権利と生きがいを踏みにじり、カネ儲けのためなら、いのちも生態系も環境も破壊して平気、という異常な世界にしてしまったのでした。こんな迷走を正そうとする批判に対して、隙あればつけこみ騙しと妨害、気を許せないのです。――大資本・大企業の横暴とか、とくに金融操作の手品(詐欺行為)、といってもピンと来ない人も多かろう。最近は、イギリスの優れたジャーナリスト、ジャクソン・ニコラウズの書いた『タックスヘイブンの闇―世界の富は盗まれている!』、(朝日新聞出版,2012年)という好著も出ている。童子丸開の現地報告スペインの2011年5月の全国的市民蜂起もこの大銀行・金融資本の詐欺行為に対する99%市民の全国蜂起で、まだわれわれ日本人の気づいていない問題でもある。
第四に板垣が指摘するのは、
環境との共生・共存する環境を守り育てる世界と自分を変える市民社会のなかで、いのちを大切にし、生物の多様性・文化の多様性・宇宙の多様性を尊重し、「少数者」を大事にすることが、あらためて重要視されるようになりました。生物・無生物あわせて、それぞれに違う多様な「個」が結びあい、支えあいケアしあう深い関係の総体である自然。アダムの子孫たち(バヌー アーダム)=人類は、自然への畏敬のこころをもって、環境共生に連帯し、影響をおよぼしてきた人間の責任を自覚しなおすことが強調されるのです。宇宙の「公益」に反した操作をわざとしてはならない、と。ユダヤ教やキリスト教の聖書の創世記には、人間は地上のものを「支配する」と書かれています(1章28節)。しかし、イスラーム教のクルアーンでは、人間は自然を「信託」された{お世話を引き受けて預かったものだ}が、不正や愚かしさがバレてしまうとも書かれています(33章72節)。これらの言葉をどう理解するのかも、いま問われなおす問題なのです。―自然との共生である。われわれの列島で破壊され、過疎化―均された大都市一元化につぶされた、かつての人間性や地方性を失った全国総ての「地域」を思え!-そして、最後、第五に板垣のあげたものは、
修復的正義{関係者みんなで協力して「正義」をうち立てなおすこと}を実践する何が真実か徹底的に調査し明らかにする仕事を通じて成り立つ和解や、反省・自己批判をつうじて実行される リドレ(redress 英語でリ{もとのように=人間のよい本姓を理解して}・ドレス(まっすぐにする)から、是正・補償}などが追究されます。正義をなしとげるには、ただ悪者を打倒して権力を奪い、排除・抹殺すればよい、とは考えず,悪には正義を明らかにするためにこそ悪として存在する理由があった、という風にも考えようとするのですね。
 
以上は、新しい市民革命の目標・理念あるいは特性として、私(板垣)が注目した特徴点です。私は、世界史上「ブルジョア革命(フランス語のブルジョアは「まちの大衆・市民」)と呼ばれる17世紀以後~20世紀の民主主義革命「社会主義革命まで含む」革命に対して, 革命を革命する 新しい市民革命の「ムワーティン革命」(アラビア語のムワーティンは「住みなす大地(ワタン)と結びつく人々」 と呼びたいと思います。新しい革命の特徴点は、まず、2011年1月~2月エジプトやチュニジアの市民たちの革命への実践行動と熱望とから見分けられたものでした。ところが、新しい革命志向と共鳴・共振して世界にひろがった市民決起のなかでも、つぎつぎ同じ特徴点を発見することになりました。
 
また、大震災のうえに福島原発事故がつけ加わる苛酷な現実と向きあうことになった2011年の日本の社会でも、市民の動きには間違いなく共鳴する志向性が確認できたのです。それは、カイロのタハリール広場で脈うつ思想と響きあうばかりか、息づかいまでピタリと一致する、抑制のきいた言葉として語られ、人々を感動させました、9月19日、東京・明治公園の「さようなら原発」集会のステージから、ハイロアクション福島原発「せかいへ40年実行委員会の武藤類子さんが行ったスピーチがそれです。ここには、「人間の尊厳」や「世界変革と自己変革」の結びつきなどという言葉はでてきません。でも、日本の社会が向きあう現実の中から。武藤類子さんが力強くも美しい日本語で結晶させた実践課題は、私が新しい市民革命の特質として整理してみていたことと、あまりにもしっくりとかさなり合うではありませんか。
 
いま日本で、「いのちを奪うな」をもっとも敏感に、するどく、はっきりと要求して立ちあがあっているのは、女性たちです。収束しない原発事故のもとで放射能汚染の危険が高い地域と、基地負担が軽くなるどころか犠牲を背負わされるいっぽうの沖縄とでは、ことにそうです。オトコ中心主義への批判が新しい市民革命の目玉だということが、日本でも浮かびあがっています。では、中東から世界へと市民の立ちあがりがひろがりだす その矢先、フクシマ原発事故が起きたことについて、どんな意味、どんな教訓を、読みとればいいでしょうか。真実の隠蔽・歪曲、虚偽とごまかし、いじめといやがらせ、暴力と排除・・・・このようなことが罷りとおる日本が、地震・津波という自然の戒めを受けただけでなく、人類を巻き込む核災害をひき起こしてしまいした。しかも、それは、不正義・不公正の世界にけじめをつけ世界を変えようとする市民(ムワーティン)革命が中東で燃えあがり、これと呼応する市民の立ちあがりが世界全体にひろがろうとする、折りも折り、もちろん、日本の原発事故は世界の市民の立ちあがりを一層促進します。と同時に、この核災害にどう取り組むか、が人類史の新時代をひらくムワーティン革命にとって、最初の試金石となるのです。日本の国あるいは社会が、日本の責任として、原発事故とその影響に対処していくのはあたりまえのことですが、それは人類全体が協同して取り組む対処“パートナーシップ”を強める一部分でなければならないでしょう。
 
日本の取り組み方は、新しい市民革命に対してどんなかかわり方をしようとするか、答えることでもあるのです。日本のなかで、原発事故をこんな角度から考える市民の動きは、オーストラリアのウラン鉱山の拡張や環境汚染に対する先住民族、インドでの原発建設反対運動のうねり、中東の非核地域化をもとめ、日本の原発輸出の受け入れにも反対する中東諸国の市民運動、との連携などにも、現われています。しかし、国際的連携も大事ですが、それぞれの持ち場での運動が離れていて共鳴・共振するような超(ハイパー)パートナーシップの成りたちはもっと大事でしょう。そこで、板垣は、<新しいムワーティン=市民>革命が、どうして中東から出発したのか、そして、その地球的拡大は世界をどのように変えるだろうか>という、板垣がぜひとも話しておきたいことにたどりつくのである。
                         ・・・
つづく
参考
武藤 類子さんを知るために。
 ハイロアクション福島原発 -9/19【さようなら原発】武藤類子さん - YouTube
おかんとおとんの原発いらん宣言 
福島からあなたへ・武藤類子さんインタビュー - YouTube
福島原発反対を闘って」福島県三春町武藤類子さん
武藤類子『福島からあなたへ 』(大月書店2012年5月/03)、13~33頁に2011.9.15明治公園スピーチ全文。

参照資料。
新しい市民革命のいい実例の記録です。 
童子丸開「銀行家どもに食いつぶされる欧州 
     ポール・クレイグ・ロバーツ論文和訳」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15Mキンセ・デ・エメ) 第8話
(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」
童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)第7話
         5月15日から10月15日への「長征」
童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)第6話
         限界、分裂、そして広がり」
童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):   第5話
         世界に広がる「スペイン革命」
童子丸開「515
スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):      第4話
     暴力反対!」

童子丸開「515スペイン大衆反乱 キンセ・デ・エメ):      第3話
     広場を取り戻せ!」                 第2話
童子丸開「プエルタ・デル・ソルへ!」
童子丸開 「バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ」  :   第1話

三木亘 
世界史のなかのイスラム世界『イスラム世界の人びと1総論』
                       所収1984東洋経済

 

 

 

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2012年4月25日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(4)

Akyu         吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)


<私が見てしまった「人類史の夜明けの虹」の話>が熱情あふれる感じで語られている。まず、彼は1931年生まれ。不思議なことに、それから10才、 20才、30才・・・と10年単位、彼の人生の区切りの年ごとに、歴史の曲がり角がやってきた、という。自分史と世界・日本史の共時性であろうか。
私はちょうど板垣の10年前、1921年生まれ。まず1921年は、ウラジオストック出兵ではない、1918年から1922年まで続けられた「シベリア出兵」は第一次世界大戦時の連合国がロシア革命軍に囚われたチェコ軍団救出なる「大義名分」で行われた、ロシア革命に対するいわば干渉戦争であった。参加した連合軍中、兵力の大半は日米の軍隊で、日本軍は各国より数十倍多い兵力7万3000人、4億3859万円から9億円(当時)を投入、3333人から5000人の死者を出し撤兵したソ連側の死者・損害の詳細は未だ不明であるようだ。1920年には連合軍は相次いで撤兵したが、日本軍は単独で1922年まで駐留を続けていた。各国からは領土的野心を疑われ、「一物も得ずして撤兵した敗戦」である。だが、その後も対ソ基地としての「満州国」樹立、対ソ戦想定の「関特演」、ノモンハンの敗戦とソ連敵視の軍事行動は続く。敗戦後の「シベリアなど抑留」は、ある意味で「シリア出兵」の裏返しの様相を呈する。私が生まれた1921年は、失敗に終わった「シベリア出兵」(対ソ干渉戦争)の「一時」切り上げをきめた年であった。
 一方、時代の趨勢で、河上 肇『社会問題研究』が創刊されたり、大原社会問題研究所が創立されたりしているのが、前年の1919年である。また、『種蒔く人』第一次が創刊されたり、自由学園設立、自由法曹団結成、日本青年館設立、信濃自由大学(上田)に設立、『思想』創刊が1921年でもあった。そして、ロシア共産党が新経済政策(ネップ)への移行を決定、中国では上海で中共1全大会、イタリアでファシスト党成立、モンゴル人民政府成立、海軍軍縮と極東問題のためのワシントン会議、そして中国の魯迅
Q正伝』発表、アイルランド自由国成立承認の1921年でもあった。
これらが象徴する世界―日本の変動は、誕生したばかりの自分にこれから押し寄せてくる世界であり日本であったのである。あとは、10才以下、板垣 雄三と同じである。彼は1931年生まれ、不思議なことに、それから10才の彼・20才の私、20才の彼・30才の私と、10年単位、彼と私の人生の区切りの年ごとに、歴史の曲がり角がやってきたのだ。自分史と世界・日本史の共時性。2010年末から始まり2011年~2012年と世界にひろがる新しい市民の目覚め、99%の異議申し立て、怒と不満の爆発。チュニジア・エジプトに始まる「アラブの春」、そしてスペイン・ギリシアなど金融資本にいじめられた市民の抗議とデモ・集会の波共鳴・共振は第三世界化している全世界に広がってゆく。  沖縄で、韓国で、中国で、インドで、ギリシアで、ドイツで、英国スコットランドで、べラルーシで、中南米で、そしてアメリカで、とくにボリビアで「母なる大地」法発効、イスラエルでも、おくれて3.11以後の日本でもフクシマの怒れる女たちの始めた<いのちの尊厳>を守ろうとする闘いが。それら民衆の目覚めと立ち上がり。その2011年、彼は80才、私は90才というそれぞれの区切り目。その区切り目の年2011年の特徴を板垣は指摘する。2012年1月以降、板垣は自分の見方をたしかめる検証作業をすすめる。さらに、彼は中東で起きたムワーティン(市民)革命について考えるための着眼点を整理する。これは、中東を知るためのカギともなろう。
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スラームは世界史的に超近代性(スーパーモダニティ)の土台を展開させはじめた。ヨーロッパの近代はそのような展開のローカルな現れだった。だがヨーロッパは、イスラーム文明からおおくを学ぶことで拓いたヨーロッパの近代を、世界史のなかの排他的な中心=模範としてすえつけ、近代はヨーロッパからひろまっていくのだという「語り」を武力でもって裏付けるようになった。これが欧米中心主義である。いま、世界中で市民たちが立ち上がり、その多角的な共鳴・共振が、無限大のネットワークを形づくりつうある。板垣のいうことは、一つ経産省前テントで実験されつつあるようだ。
世界は、いま激変のときを迎えつつあります。
いま、必要なのは惰性にひきずられない新鮮な思想と行動力です。
学校でならうことが、そのままでは役に立たなくなります。未来の学校で教えなければならない知識をつくりだしていくのは、みなさんです。そして、結びに板垣は、<無責任体制が根強い日本社会ですが、19世紀には<明治維新の「世直し」を完成しようとした自由民権運動=自由を求める民衆決起がありました>として、東北、わけても福島県が、四国の高知県と並んで自由民権運動の一大中心だったこと。二つの地域を結ぶ草の根の若者たちの往来・遊学が活発に行われたこと。運動の大衆化が進む中で、十代末から二十代初め、今で言えば高校生・大学学部生の年代の活動が目立ったこと。1882(明治15)年の福島事件と1887(明治17)年の秩父事件、二つの大きな大衆蜂起の中間に福島の若者たちの企てた加波山事件。そこで発表された革命宣言をあげている。そして、<これを起草した琴田岩松は1886(明治19)年絞首台の露と消える、享年24歳。福島事件の前後、演説で活躍していた彼は18~19才だった。大日本帝国憲法発布は1889(明治22)年。板垣は最後にこう書いている。<新しいムワーティン革命が世界にひろがる時代、日本の若者はどんな新しい生き方、どんな新しい社会の変え方をしてみせるでしょうか。>
                       
(あと2回つづく)
【参考】
毎日新聞2012年2月27日東京夕刊、特集ワイド「かつて水俣を、今福島を追うアイリーン・美緒子・スミスさんに聞く」{水俣と福島に共通する10の手口}-
1.誰も責任をとらない/縦割り組織を利用する 
2.被害者や世論を混乱させ「賛否両論」に持ち込む 
3.被害者同士を対立させる 
4.データを取らない/証拠を残さない
5.ひたすら時間稼ぎをする 
6.被害を過少評価するような調査をする 
7.被害者を疲弊させ、あきらめさせる 
8.認定制度を作り、被害者数を絞り込む
9.海外に情報を発信しない 
10.御用学者を呼び、国際会議を開く-以上、
みんな3.11以降、わたしたちがいやというほど見聞し体験させられた。

国立国会図書館憲政資料室加波山事件関係資料(MF:個人蔵)
 国立国会図書館憲政資料室加波山事件関係資料(所蔵)
 茨城県古河市西公民館図書室
東北文庫岡田 益男「福島事件」

戸井昌造秩父事件を歩く秩父困民党の人と風土
(新人物往来社、2005年)ISBN 4404032471
戸井昌造『秩父事件を歩く秩父困民軍の人と闘い』
(新人物往来社、2005年)ISBN 440403248X
戸井昌造『秩父事件を歩く秩父困民軍の戦いと最期』
(新人物往来社、2005年)ISBN 4404032498
石井孝明治維新と自由民権』(有隣堂、1993年) 
ISBN 4896601157
色川大吉明治の文化』(新版・岩波現代文庫、2007年)
ISBN 9784006001681

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2012年4月18日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(3)

12043
              吉田 悟郎
(旧制成城高校新聞部OB)

 が <終りの終り>と<始まりの始まり>と文学的・感覚的に指摘していたことが大分はっきりしてきたと思う。
<
終り>は、<野蛮化・地獄化>の終焉であり、三木亘の言葉では<軍事的・差別的 抑圧的 メタ文明>の崩壊であり、欧米日の近現代文明のゆきづまりである、怒れる福島の女たちの表現では<原発いらない福島の女たち>である。原発そして核=核兵器は野蛮化・地獄化した現代文明の極致であり、象徴である。これの廃棄こそは、今太平洋を<死の海>に変えつつある 汚染された列島に生きる私たち日本の市民の人類に対する責任であり、義務でもある。
これが、わたしたち列島に住む市民たちに課せられた責任であり、義務でもある。こうして、わたしたち日本の市民は、期せずして <始まりの始まり>の大事な一端を担うことになったといえよう。
板垣雄三が説くように、いま全世界にひろがりつつある
<新しい市民(ムワーティン)革命>は、「多即一」
 タウヒードの理念の上に立つと、世界は「欧米対イスラーム」といった二項対立ではない。
界は公正と平和・正義を求める市民たちの立ち上がりの、それこそ、多角的な共鳴・共振が無限大のネットワークを形づくりつつある。そういう激変する未知の世界史に わたしたち市民は 生きつつあるのではないか
 れた写真家広河 隆一責任編集の写真雑誌『DAYS JAPAN』四月号に畏友板垣 雄三の新稿「十代の若者たちにあてた手紙」がある。年は私より若いが、板垣雄三は三木亘とともに1970年代から始る私の中東学習の先生であり、今度の板垣の<若者にあてた手紙>も 私が板垣から学んだ中東学習・世界史学習の集大成みたいなもの、よきおさらいのような仕事である。2010年末にはじまり2011年から2012年そして今日も全世界にひろがりつうある 新しい市民のめざめと立ち上がりを総括しつつ、わが日本でも<フクシマの怒れる女たち>の「とつきとおか」の抗議と泊まりこみ、ハンストなどのたたかいがその大事な一翼をにないつつあるのではなかろうか、という<人類史の新段階>を語りだしている。彼のいう『人類史の夜明けの虹の話』をこれからじっくり読んでみよう。
                                    20124.15記
。(つづく)

新しい市民革命のいい実例の記録ですネットで探してぜひ読んでください。すばらしい写真も豊富です。
童子丸開「銀行家どもに食いつぶされる欧州 
ポール・クレイグ・ロバーツ論文和訳」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)
第8話(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ) 
第7話:5月15日から10月15日への「長征」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ) 
第6話限界、分裂、そして広がり」

童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):
第5話世界に広がる「スペイン革命」】」

童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):
第4話:暴力反対!】」

童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):
第3話:広場を取り戻せ!】」

童子丸開 第二話プエルタ・デル・ソルへ!
童子丸開
第一話バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ

三木亘 世界史のなかのイスラム世界 東洋経済
『イスラム世界の人びと1総論』所収1984

童子丸開のは「ちきゅう座」のサイトから読めます
Peace Philcom,osophy Centre(カナダ バンクーバー) April 08, 2012
Sunday
日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった: 田中利幸バンクーバー講演録
世界終末時計 WIKIPEDIA 

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2012年3月21日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(2)

1_edited1_5         吉田 悟郎 (旧制成城高校新聞部OB)

 
『Forum高校生新聞の読者の方には重複される方がいるかもしれない
が、わた
しの生き甲斐みたいなホームページで2001年4月に始めた『毎
日更新ブナ林
 便り』は、来る4月で11年目を迎える。お約束の『Foru
高校生新聞
』の続稿
がのびのびになっているのも、2011年3月11日
来の未曾有の危機の中 で、特に原発問題の諸情報へのアンテナ張りとその
収集と整理という仕事のせいである、そこで、いま始めている一番大事
な仕事を少しご覧になってい
 ただこうと考えた。すでに『ブナ林便り』をお
読みの方には重複するかもしれ
ないが、ご勘弁を願いたい。
                   

2011年12月12日から不定期でつけはじめた日録に名前をつけることに
しました。『祖父が孫娘に語る乱世世界史』という名前です。私は2012年
2月で91歳になる老輩、次女の娘である孫娘「あやちクローデル」は浅草に
住み、老輩に手ほどきでツイッターなるものを伝授してくれました。イタリア
人の音楽家Gianni Gebbiaがつくった『浅草のブレヒト』(鎌倉ZEN映画祭
で2
位、準グランプリになりました)に出演、楽曲提供もしている孫娘です。
また、≪吉田悟郎のブナ林便り・転》を発案・制作してくれている、頼もしい
ネチズンです。

                                                                              

『祖父が孫娘に語る乱世世界史 ―悟郎じぃじ から あやちクローデル へ― 
わたしたちは生きてきた1945年から今日までを戦国乱世とは思ってきませ
んでした。戦勝国米国の従属国・属国として戦争帝國の余沢にあずかり、のう
のうと「平和に」生きてこられたからです。実は1945年以降も沖縄で、朝
鮮半島で、中国で、そして旧ソ連をめぐっても、東北アジア・東南アジアで、
そしてインド・中東でも、中南米でも、はてはバルカンでも戦国乱世は続いて
きたのです。私たちは、そういう戦国乱世の世界を対岸のひとごとのように感
じさせる、いつわりの「歴史」「世界史」を教えられてきたのです。マスメデ
ィアも同様、私たちを眠らせてきたのです。1945年以来戦国乱世が続いて
いることを、沖縄の人々は実感で味わってきました。近ごろやっと「本土」の
わたしたちも沖縄の人たちの闘いによって「平和」ではなかったことを悟りは
じめました。そして2011年3月11日以降、のうのうと「平和」を満喫し
てきた日本列島の人々、とりわけ東日本に住む人々も、「この日本列島全体が
「平和」なんかではない、まるで戦国乱世なのではなかろうか」という実感を
持ち始めているのです。そしてあらためて実世界に眼を開き始めると、どうで
しょう。
                                       

最初に『毎日更新ブナ林便り』のIndexに載せた文章を読んでもらいましょう
少し長いけれども、「乱世世界史」の日々を瞥見する試みに誘われる糸口に
るかと思います。
                                       

【『毎日更新ブナ林便り』index 】より。
いま野蛮化・地獄化しつくした「近代世界」の崩壊を私たちは目の当たりにし
ています。この数百年に一度しかな
い、眼前に繰り広げられる破局そして転換
を、しかと記録に刻んで行きたいと
思います。激変は、日々ではなく、時々刻
々、進んでいます。更新は刻々行わ
ねばなりません。愛読者の皆さま この世
界の地鳴りに耳を澄ませていきましょ
う。
ヒロシマ・ナガサキ―最初の核の使用、沖縄戦に象徴される民間人を巻き
込ん
だ凄惨な地上戦、全国非武装諸都市への無差別爆撃
  私は幾年か前から、

れら私たちの体験は「野蛮化した近現代文明」の「終わりの始まり」と感じ

、私の世界史の中にそう位置づけてきました。そして、この2011年3月

1日、はからずもその「終わり」という画期を迎えたと感じます。極東の島

を襲った大変な地殻変動。同時にユーラフロアジアの西方、北ア―中東の

の違った地殻変動。鶴見俊輔は言っています、「これは、日本文明の蹉跌だ

ではなく、世界文明の蹉跌につながるという想像力を、日本の知識人はもつ

とができるのか」、そして「<敗北力>を持とう」と説いています。まこと

然りと同感します。そうだ、2011年が「終わりの終わり」という画期に

たのです。さあ、私たちは日本を、これから、そして人類は世界を、新し
く生
まれ変わらせることができるのでしょうか? 数万人の死者、さらに多く
の被
災者と共に、「終わり」から脱出して、新生の世界史に歩を進めることが
でき
るのでしょうか。(以上『毎日更新ブナ林便り』
indexから)
                    

【2012年3月11日】日録より。
昨日3月10日は一回目の東京大空襲の 日だ。二回目の5月の大空襲で私の
東松原の家も罹災した。四年前『Forum高校生新聞
』に書いた文章がある。
下記に、再録してみる。
 
世界史の野蛮化・地獄化の<終わりの始まり>
白樺湖の二谷さんから新しい『白樺便り』をいただいた。その冒頭に「TBS
系とNTV系とで東京大空襲に関するドラ
マが放映された。TBS系では空襲
罹災の33枚の写真を撮った石川光陽の物
語に仕立てられていた。他方NTV
系の二夜連続のドラマはいくつかのエピソー
ドをつないだものだが、歴史考証
には、吉田裕氏の名があった。植民地下の朝
鮮人の動きを織り込んだものだった。・・・・3月10日の無差別爆撃計画は、関東大震災に学んで同じ場所・
範囲を標的にし、油脂焼夷弾を使用した。言問
橋の悲劇が作られたのであった。
無差別・絨毯爆撃が平然と行われたことが、
ドラマであきらかにされている。
小生が隅田川を挟んで、反対側に住んでいた
ことを思い出す。」
私もこの東京大空襲のドキュメントとドラマは見た。戦犯カーチス・ルメーの
顔とクラスター式焼夷弾が無気味な音をあげて低空からばらまかれる地獄も再
びしかと見届けた。ドラマは5月25日の大空襲も扱っており、余り知られて
いないトンネルの野蛮な機銃掃射も再現されていた。上野駅近くで機銃掃射に
やられる女主人公が<もうこんなひどいことはおしまいにしてくれ>という死
に際の悲痛の言葉は胸を打つ。この歴史の再現の試みはヒットだと思う。東京
大空襲はその野蛮性と地獄性がたくみに隠されてきた。昭和天皇の眼からも、
東京のド真中に居りながら石川光陽が写した亡骸は隠された。いっしょに見た
人は「私たちは運良く生き残ったのね」と洩らした。私自身は二回目の学徒
陣で運良く外地に行かず東京と横浜で軍隊生活を送れた。
3月-5月の東京大
空襲と5月29日の横浜大空襲は軍隊で身近に体験した。
5月の東京空襲で
は留守宅の兄夫婦、二人の年寄りは被災し留守宅の私の蔵書
・レコード類は灰
燼と化したが、わが身は無傷で生き延びられた。無差別・絨
毯爆撃・クラスター
式ナパーム焼夷弾の野蛮性・地獄性は十分全身で味わった。
世界史の野蛮化と
地獄化を犠牲になり死んでいった者も生き残れた者も体験し
たのである。その
後の硫黄島・沖縄、ヒロシマ・長崎・・・その延長である。
ふりかえれば、こ
れは世界史の野蛮化・地獄化の終わりの始まりであった。こ
の終わりは20世
紀末期から21世紀初頭にかけてまだ終ってはいない。いま
この世界史の野蛮
化・地獄化を最悪の形で味わわされているのが、中東-イラ
ク戦争5年下のイ
ク民衆であり封鎖されたガザ-西岸-東エルサレムのパレス
チナ人である。

そして、かれらは世界の無視と沈黙の中で、この世界史の野蛮化と地獄化を終
らせようと戦い続けている。戦後の日本は、果たして世界史の野蛮化・地獄化
とは無縁になっているのだろうか? 沖縄を見よ、本土とともに、おとなにと
ってもこどもにとっても形を変えた<戦争状況下>の日常を、「新自由主義」
の構造改革後、「日米軍事体制再編」以後、体験させられているのではなかろ
うか。もちろん、こういう世界史の野蛮化・地獄化を全面的に終息させる≪別
の世界は可能だ≫という思想と運動が東西を逆転させ、南北を転換させ、野蛮
化・地獄化の元凶を追い詰め、世界史の野蛮化・地獄化をもたらした構造をひ
っくりかえそうと育ちつつある。ようやく、世界史の野蛮化・地獄化が音をた
てて
倒壊する時代が近づきつつある。
                        

【2008年3月22日】日録より イラク戦争5年。もちろん、あの戦争
日本が、アジアの東北から東南にかけて果てはインパール・セイロン・アン
マンまで、一方太平洋の西半にわたり、日中戦争・「満州国」から、真珠湾
撃で先に侵略戦争を始め、アジア―太平洋の諸地域・人々に多大の迷惑を加
え、
欧米帝国主義と同じ損害・差別・抑圧を行った歴史は消去できない。私は
軍隊
にとられる前、学生の時に、下北沢のなじみの古本屋で見つけたのが、満
鉄調
査部の訳したソ連の研究者モトゥイレフの『太平洋をめぐる日米帝国主義
の激
突』だった。実際の日米の激突の始まる何年か前のことである。とにかく
まだ
アメリカの大統領はヒロシマを訪れてはいない。
                    

昨日、新刊の『 世界が見た福島原発災害・3 』を長女が購入してきてくれた。
沼安史さんが訳編した新刊で、「いのち・女たち・連帯」という副題がつい
いる。その末尾に「始まりのためのエピローグ」がおかれている。もちろん、
日本での「始まり」を試みているフクシマの女たちのことである。2011年
~2012年は まさに<終りの終り>の始まり、同時に<始まりの始まり>
の始まった年になった。今日は福島原発事故一年、テレビは朝から現地からの
報道番組。福島に本当に「一年」はあったのだろうか。
                  
 2012年3月16日 よしだ ごろう

 

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2012年2月15日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(1)

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        吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

 

 

 
 畏友目良誠二郎さんは幼時福島県の浜通りに育った。彼は比較史・
比較歴史教育研究会で知り合い、いろいろ議論もしあった学友である。彼は歌人でありカメラマンでもあり、3・11以後特に原発・核汚染・フクシマの喪失については、日々詠い日々写す大事なテーマにしている、賀状に選んだ歌を少しのせてみたい。

大地揺れ海の襲ひて原発の危機に頻せる吾がふるさとよ(3/11)

花見なば思ひ起こせよフクシマの見る人もなく咲き散る花を4/21)
山笑ふ笠間に遊びフクシマの訪ふことできぬ故郷思ふ(5/4)
大熊も双葉・浪江も富岡も町(まち)にしありて町(ちやう)にはあらず
(8
/2)

フクシマよ奥羽陸奥(みちのく)東北よ生ぎよ負げんな吾がふるさとよ(7/8)野馬追を訪へば旅路に鳴りつづく計器ありたりウクライナ製の(7/24)
改めてフクシマ問ひぬヒロシマとナガサキの日に非核の意味を(8/9)
黄金なす瑞穂の湖(うみ)よ美しき汝をば汚せしを悪みぬ(9/30)
んだんだとつぶやき聴きぬがんぱっぺがんばっぺとふ故郷の声を(11/7)
名を知れば愛しきいのち野に潜み人世のおごりしばし忘れぬ(11/18)
よくぞまあまた来てくれぬ鴨たちよほるか北から苦難の国へ(12/2)

2011年はたいへんな年だった。
私は『ブナ林便り』で「終りの終りの始まり」の年と名づけた。
そして、同年2011年は「始まりの始まりが始った」年だと思う。
霞ヶ関の経産省前のテントで、すわり込み「とおかとにち」を続ける
フクシマの「未来を孕む女たち」がそれを示していると思う。目良さんのすすめで南相馬市に住んでいて、今福島市に移り、住んでいる詩人若松丈太郎さんのことを知り、昨年出た彼の著書『福島原発難民』(副題 南相馬市・一詩人の警告1971-2011年)2011コールサック社と、彼を“預言者の詩人”と名付けたアーサー・ビナードさんが若松さんと英和二ヶ国語で編み、一篇ごとに斉藤さだむさんの写真をつけた『ひとのあかし』2012清流出版を買ってきてもらった。
いま、フクシマで起きていることをすべて18年も前に見通して歌った詩人の本を読み始めている。(続く)

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2011年11月15日 (火曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり

Photo_2             吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

新連載「始まりの始まりも、今はじまったばかり」は不定期連載とします。
理由は、筆者多忙の為です。

Twitter】【ブナ林便り日々更新していますので、よろしくお願いします。

                             高新連HP 編集委員会

                             Ki

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2011年10月12日 (水曜日)

終わりの終わりは今始ったばかりーその 五 結び

  Imagescanxkqoi         吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

 (画像:高木仁三郎氏原子力資料情報室にて。)
 小出裕章「放射能で汚れた世界で私たち自身が生きるしかない。そういう時代に入った。そういう世界に変わったんだと、みなさんにも是非、認識していただきたい」(2011・9・10 大阪

放射能汚染といえば、東北・関東のことだとして。西日本や南日本に住む人は他人事と感じることもあろう。しかし。フクシマから出る死の灰はそうなのであろうか。
◆ スイス気象台 拡散予報⇒
http://www.meteocentrale.ch/en/weather/weather-extra/
weather-in-japan/weather-extra-japan-zoom.html

◆「フクイチ」風向きマップ
http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/weather/gpv/wind/

 【ブナ林便り】にも載せてある上記ふたつの資料は毎時更新される。ぜひ、あなたの地域を探してみてください。私の知人でも長野の人と山口の人 それぞれ関東にすむものと比べると温度差を感じる。8月15日、大文字の焚き火が問題になったとき、小出裕章さんはMBSで「福島から京都に放射能が飛んで来てることに怒ってほしかった」と語っている。私のブナ林では大事なサイトとして、原子力学者の武田邦彦さんと小出裕章さんの大体毎日あるレクチュアーを読むことにしている。8月9日種まきジャーナルで小出裕章さんはこう語っている。「広島原爆がばらまいた核分裂生成物、その中の代表的なものがセシウム137という核分裂生成物ですが、そのセシウム137の1000発分を越えるセシウム137を福島第一原発の事故ですでに大気中にばらまかれたのです。そして今12万トンの汚染水として、多分それを越えるものがどうなっているのか?・・・1号機・2号機・3号機合わせて広島原爆の4000発分に相当するぐらいの核分裂生成物が炉心のなかにあったのです。そのうちわずかに100発とか200発或いは300発と私はいっているわけですが、まだまだ大量の放射能は閉じ込められた形でのこっている。原子炉がこれ以上溶ければこれから10倍のものがでてくるわけです。>9月28日、NYタイムズ電子版が報ずるところでは、チェルノブイリ事故による黒海の汚染が最大約1000ベクレル/立方メートルだったのに対して、フクシマによる太平洋沿岸の汚染は10万ベクレル/立方メートルに達していることが、米国のウッズ・ホール海洋研究所のケン・べセラー研究員の調査で明らかになったという。べセラー研究員はタイムズ紙に語った。<私たちは億ベクレルという数字も見ています。私たちは史上最大の放射能の海洋放出であると分ったわけです。私たちは実際、どれだけのものが放出されているか、依然として分っていないのです。> 仮設としては、地下水が汚染され、太平洋をなお汚染していると考えられるという。
 2011年3月11日以降起こっていることは、実に<史上空前の大地・大気・地下水そして海洋汚染>という事実であり、そういう事故をかつてヒロシマ・ナガサキを自ら体験した日本・日本人がそれから66年しか経たないときに引き起こしたのである。<世界には400基を超える原子力発電所があり、アメリカ104基、フランス59基、日本55基、ロシア27基、そしてドイツ17基などが主要な国の原子炉の基数である。このうち、「震度6の地震と津波などの海洋からの打撃」を受ける可能性のあるところに建設されているのは日本の原発だけであり、地震という点では台湾、アメリカ、アルバニアなどの数基の原発があり、日本のように巨大地震と津波に頻繁に遭遇することはないと考えられる。
 従って、日本の原発は「地震津波の頻発地域で運転を継続している世界でも特殊な原発群」ということができる。それにも関わらず、福島第一原子力発電所の1号機が「アメリカで設計された」とされたことや、福島原発事故後、九州の玄海原発の再開問題で「日本の原発の再開に当たってはヨーロッパで用いられているストレステストを経ることを条件とする」とされたのは、日本の原発の独自性に関する錯覚があると考えられる。原発の原型は1942年にエンリコ・フェルミがシカゴ大学で成功した時のものであり、その後、アメリカ、イギリスなどで初期の開発が行われてきたこともあって、日本よりアメリカやヨーロッパの方が原子力の安全技術については上位にあり、従って、欧米の設計や安全指針を参考にするということが長く行われてきた。筆者が原子力関係の会議に出ると、海外での会議の結果が報告され、その時に「海外ではこのように進んだ安全に関する研究が進んでいるので、日本も早く取り入れる必要がある」というのが基本的な論調であった。しかし、日本における原発事故の最大の危険要素は地震や津波であり、日本ではスリーマイル島およびチェルノブイリのように運転操作のミスなどの運転上の危険性は低い。従って、日本の原発の安全性を保つためには、「世界には地震にたいする安全技術はない」という認識のもとに日本が独創的な安全技術を創成していかなければならなかった。
 事実、2007年の石川県志賀原発、新潟県柏崎刈羽原発が震度6の地震で破壊し、2011年には宮城県女川原発、福島県福島第二原発が震度6の地震で破壊した。さらに2011年の同じ東北大震災で、青森県東通原発、福島県福島第一原発、そして茨城県東海第二原発が全電源を失い、原子炉は崩壊熱で温度制御が不可能になった。このうち、「防潮堤を津波が越えたため」とされるのは福島第一原発だけで、他の2つの原発は津波が防潮堤を超えていない。そして爆発したのは福島第一だけであるが、東海第二は爆発寸前まで進んだ。つまり、世界の原子力発電で「震度6の地震に耐えたものはまだ存在せず、原子力発電所単位で言えば100%の原発が破壊されている。全部で7発電所が危機に陥り、そのうち3発電所が全電源を失っている。日本の報道の偏向で国民ばかりではなく専門家もこの事実は十分に認識していない。」武田邦彦・9月2日。
 さて、9月26日に武田邦彦さんが、「原発事故6ヶ月と将来―生活篇」で語っている6ヶ月のふりかえり・まとめに耳を傾けよう。<今度の原発事故を「生活」の面から見ると、最初からボタンの掛け違いでした。政府の中枢部や東大教授が「どうしたら国民を被曝から守るか」ということを考えれば、気象庁が風向きを出し、文科省がSPEEDIを公開し、避難用のバスを手配し、速やかに国民を避難させ、公務員とボランティアを組織して除染作業に当たることはきわめて容易だったのです。その後、本来なら子供を守るために必死になるはずの文科大臣が「20ミリ(400回のレントゲン)まで我慢しろ」と言い、教育委員会がそれに追従するに至って、国民は自衛に切りかえました。その中でもお母さんの動きが速かったこと、男性は「ばかやろうおじさん」に代表されるように、子供を被曝させる側に立ちました。
 4月は、3月に漏れた放射性物質が風に流されて3方向にながれ、まだ空気中に飛んでいました。この頃、空気中の放射性物質が家庭の中に入り込んだのですが、政府の誤報もあって、お母さんは「家の中を拭く」ということに思い至りませんでした。そこで私は「粒がある」、「花粉のようなものだ」、「水拭きが有効だ」、「赤い粉がある」、さらには「悪い奴がそこにいるのだ」と繰り返し、お母さんは床や壁を拭いてくれました。それによって室内の放射線量は平均して3分の1ぐらいになり、子供たちの被曝量も3分の1になったのです。中には芝生をはいだり、家具を捨てたりした人もおられますが、なにしろ放射性物質を身の回りから少しでものける必要がある時期でした。今でも基本的には変わっていませんが、4月から5月にかけて、専門家や自治体が「除染しなければならない」と指導してくれれば、日本人の総被曝量はかなり減ったでしょう。私が個人で呼びかけても限界がありますし、自治体が「何もしなくても良い」と繰り返したのは法律違反でもありました。5月に入ると、放射性物質は地面に落ち、私は「お子さんを外出させるときには手を引かずにだっこして」と呼びかけました。浅草の空間線量が0.2マイクロまで落ちても、地面は10倍もあったからです。それと同時に地面に降った放射性物質は、野菜を汚し、水道に検出されるようになりました。
 6月になってもまだ自治体は「1年100ミリでも健康に影響がない。1年1ミリというがどの法律に書いてあるのか!」と市民を罵倒していました。もしかすると半減期が8日のヨウ素が減少するまで頑張る(市民を被曝させる)計画だったのかも知れません。7月、8月になって放射性物質は地面に落ち、ホットスポットも明らかになり、ようやく法律も理解され始めました。今では、1年1ミリが法律の規定であり、他のものは政府が非難や除染をしたくないから決めた値であることが判ってきました。そして半年たって私たちは子供を守る長い旅に出ようとしています。原子力をやらなくても日本のエネルギーに問題は無かったのですが、私たち大人(特に私のような原子力に関係した人)の責任は重たいのですが、その失敗を子供たちに負わせることはできません。>
 史上空前の時代―非日常が日常と化した日々 少なくとも今現在、私の目から見ると、戦争よりひどいことが進行していると思う。福島で。そのことにしかし、ほとんどの人が気がついていない。小出裕章さん、映画監督岩井俊二に語る、10月2日。以下、すこし、殆ど気づいていない状況を小出裕章さんのことばで列挙してみようか。3.11から6ヶ月経って。
安全な被爆(つまり放射能は)は存在しない。
放射能は日本全土(沖縄にも)降っている、世界そして海洋いずこにも。
原発がやめられない最大の理由は核をもちつづけたいことか。
<日本に住んでいる人々は1年間に1ミリシーベルト以上の被爆をしてはいけないし、させてはいけない>という一度決めた法をいとも安易につりあげてしまう日本は法治国家なのか?
汚染の程度はわかっている。その汚染程度、範囲を隠そうという作戦を取っている東電・政府?
汚染はひろがり、浸透しつつある。全面的な完全な除染というのは不可能だ。
森林や田畑があたかも除染できるかのように言うことが間違え。
本当は、もつともっと深刻な汚染なんだということを国はいわなければならぬ。
約100倍も汚染が強いゴミもそこらに埋めてしまうしかないと言い出している。
1ミリシーベルト超えて、20ミリシーベルト超えない(緊急時避難準備区域)というのは、私のような放射線業務従事者という特殊な人間だけに許されてきた基準。これから避難を解除する地域は、子どもも含めて私のような放射線業務従事者になれというに等しいです。
もし20ミリシーベルトまで許すとすれば、80人が癌で死ぬということになります。 そしてゼロ歳の赤ん坊は平均的な大人に、平均的な人間に比べて4倍、危険がありますので、ゼロ歳の赤ん坊は20ミリシーべルトの被爆をさせられてしまうと、1万人のうち320人の赤ん坊がやがて癌で死ぬということになります。
いま生きている日本人は誰一人、廃炉の終わりを見ることはないのではないか。
汚染食品は責任ある大人が食べるという提言とその理由。
反原発の闘いと沖縄の闘いは同じだ。
1.2.3号機あわせれば、広島原爆4000発分相当の核分裂生成物。
最近の南ドイツ新聞は国連での野田首相演説を酷評していることを在独の梶村さんが伝えている。(大沼安史の個人新聞・机の上の空
梶村太一郎さんのベルリン報告:「南ドイツ新聞」痛烈論評 野田国連演説
→ http://tkajimura.blogspot.com/ 
9月24日付:「転換ではない転換(Eine Wende, die keine ist)」
クリストフ・ナイドハルト特派員
……日本のエリートにはイデオロギーはなく、話し相手によってさまざまな意見も容認する。彼らのたったひとつの目的は、権力とステータスの保持である。このためには誰が何を考えているかは重要ではなく、彼が誰と結びついているかが重要なのだ。これに加えて大事なのは部外者がこのオルガルヒー(寡占制度)を分裂させないことである。野田がいまやっていることはこのエリートをなだめようとしているのである。彼はこれを「安定をつくる」と称している。菅や鉢呂のような口先だけではない立場を表明する人たちはまさにこのじゃまをすることになるのである。……
 梶村さん;第12回(7月15日)で紹介した同紙の「永田町のノミのサーカス」の続きですね。今回はさらに具体的に、原発ロビーに金で買われている政治家だけでなく、それとぐるになっているメディアもまともに突っ込んで批判しています。日本の戦後政治体制の非民主性を鋭く突いているといえるでしょう。>終わりの終わりは今始まったばかり。新たな始まりの胎動もはじまったばかり(911)。先達 2000年に亡くなられた高木仁三郎さんの最後のメッセージに再度耳を傾け、私たちはゆっくり考えてみよう。
            友へ (高木仁三郎からの最後のメッセージ)
「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会のためのあらかじめのメッセージ」と名付けますが、このメッセージです。私は大げさな葬式のようなことはやらないでほしい。もし皆にその気があるなら「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。幸いにして私は、ライトライブリフット賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うべきものとしての受賞でした。残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向かっての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
いつまでも皆さんとともに
高木仁三郎『世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ
追記
 心残りなのは、除染すべし-避難・疎開―除染はできない、どれかという問題である。8月5日の国会での児玉龍彦さんの爆弾提言以来、一転して政府・役所・政治家は、気楽に<除染>と叫ぶようになってきている。だが、小出裕章さんは一貫して、除染はできない と言い続けているその意味・意図はどこにあるのか。児玉さんと小出さんの<除染>是非をめぐる違いである。ネット上で小出さんの見解は→ <「ざまあみやがれい 」(
小出裕章~除染はできない)>でも ひっくりかえして熟読すればよいのだが、ここではその余裕がない。ぜひ自分でネットを開き、確かめていただきたい。
やはり、この際どうしてもつけ加えておきたいことがある。ぜひ、ご覧になっていただきたい小出裕章さんの動画である。朝日ニュースターpresents岩井俊二監督ドキュメンタリー「friends after 3.11」である。
<不思議な感覚で目がさえてくる。そこに、新しい場が見えてくるから、ほんとうに不思議だ。><高校生の頃「スワロウテイル」を見た時と同じ感覚だ。>
この動画で小出さんは語る。「もし私がもう一度、人生を生きられたら、この仕事のためなら戻ってきます。・・・。」インタビューが終わったあと、聞き手の松田美由紀さんが泣いた。もらい泣きしてしまった。>http://iwaiff.com/201110/jp/friends _after_3.11movie_koide.htmlもうひとつ、読んでもらいたい小出裕章さんの講演記録がある。7月23日、堅田九条の会例会・大津市での講演会での記録だ。
小出裕章「原爆も原発も同じ!憲法九条違反だ!」である。http://qc.sanpal.co.jp/info/1339/
おまけに参考文献
ちきゅう座
「原爆から原発、原発から原爆」の轍を繰り返さず、放射線汚染大国で生き抜く、新たな想像力を!加藤哲郎・ネチズンカレッジ2011.10.1
原爆神話からの解放と核抑止論の克服―ヒロシマ、ナガサキからフクシマへ」木村朗(きむらあきら):鹿児島大学 *本稿はアジア記者クラブ7月例会での報告をもとにしたもの
週刊新潮2月16日号【特別読物】CIA「政界裏工作」ファイル発見!
ポダムと呼ばれた「正力松太郎」CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎  早稲田大学 有馬哲夫
原発と権力」山岡淳一郎著 ちくま新書

武田邦彦 2015年放射能クライシス 小学館

◆ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態
◆ドイツTVHeute Show 「犯罪会社東電

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2011年9月14日 (水曜日)

終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)後半

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                                吉田 悟郎(東京:旧制成城高校新聞部OB)

 
 祝島の会での話し合いの後半は、島民による祝島の原発反対運動の起きた理由である。島民の山戸孝さんに加わってもらい、祝島のみなさんが抱えている問題について、高齢の方々は闘いの中で生きていると言っても過言ではない状況で、その歴史がどういうものだったかが語られる。山戸さんがまず語り始める。
山戸 「30年の闘いのうち10年しか知らない人間が話すのも、すごい怖いんです(笑)。もし間違っていたら是非是非突っ込んでください(と会場に向って言う)。始まりは1982年ですね。僕は当時5歳だったので何も知らないんですけれども、中国電力が山口県上関町四代田ノ浦に原子力発電所の建設計画を発表したところからです。ほんとうはその少し前から始まっていたようなんです。聞いた話では、それよりも前から電力会社の人かどうかは知りませんが。「電力教室」みたいなことを祝島でやったり、工作のような下地つくりみたいなことをしようとしていたとか。」
小林 「ちょっと事前に聞いた話では、福島の一関の人ですか、原発に働きに行っていた人たちが、福島の原子力発電所の現場状況の酷さを体験されて、上関町に原発を建てるのはやめたほうがいい、というのがことの始まりとか? 今回の福島の原発事故と今の祝島との状況を思うと、すごい歴史的な符合を感じるエピソードがありますが。」
山戸 「僕はヒロシマ、ナガサキの原爆体験も根底にあるんだと思います。島にも、原爆が落ちた後に広島市内に入って被爆した方が生活されています。それに上関町に原発建設の話が持ち上がったときに、原子力発電所で働いて被爆して被爆手帳を持っていらっしゃる方たちが、原発というのは名前を知っても中身を知らない僕たちにその内容を話してくださったことは大きいことだったのではないかと思います。あとやっぱり、漁師さんですね。見てわかる通り島なので海に囲まれています。漁業と農業とで生きている人たちで、祝島はしかも網漁ではなく、一本釣りの漁師さんが多いんです。釣った魚を市場に売って暮らしを立てていますが、それだけじゃなくて遊漁もやっています。」
山戸 「広島からやってきたようなお客さんを船に乗せて釣りをさせてあげるというようなある種観光サービスのような漁業形態です。とにかく「原発の前にある海で獲れた魚と、そうでない海で獲れた魚が同じか」って言われたら、いくら電力会社の人に魚に影響はないといわれたとしても、そんなことは常識的に考えてもありえないと思いますよ。そういったところから、原発に反対するというのが大きな理由ですね。私も島に帰ってきて、農業と漁業(海藻を獲りますけど)、海と山で喰っていこうと思ったら、原発はあるよりないほうがマシなんてレベルじゃなくて、あってはいけないものと思いました。原発の安全性以前に海が汚れるし、獲ったものが正当に評価されなくなってしまう。そうなると生きていけなくなる。自分が生きていくために原発は作らせてはいけないんだと思っています。」
小林  「もう周知のことだと思いますが、原発を建てる場所は、つねに過疎というか経済的に貧しいとみなされるような場所だったりしますね。映画『ミツバチの羽音と地球の回転』のワンシーンに中国電力の人が拡声器で「この貧しい島で、これからどうやって暮らしていきますか?」みたいなことを言ったりする場面があります。そういう弱いところにつけこむという方法というか流れが、社会にはあると思うんです。」
山戸 「聞いた話になりますけど、両親が反対運動をやっていて顔や名前が出ると誰だかわかるじゃないですか。それで子どもが勤めている職場に圧力がかかって、いきなり社長に呼び出されて何かと思ったら「おまえの親がやっている(原発反対)運動をやめさせられんか」と言われたと。ニュースの報道でも、祝島の反対運動を取り上げるなら。島民たちの生き方やその背景にあるものも一緒に取り上げなきゃわかってもらえないことなのに、運動の一部だけを切り取ったような内容であったり。しかも「この問題は祝島のことだけで、他のみなさんには関係ありませんよ」的なニュアンス。しかもその報道のCMに「原発は安心ですよ」と流れたり。・・・ほんとうにあれはお金の力ですよね。あともうひとつ、選挙で実際にお金が原発推進派に流れる。・・・よく聞く話かと思うんですけどね。前々回の町長選挙のときに、対抗の人が当選しました。その人の後援会の代表が推進派で、後々になって買収で選挙管理違法で逮捕されたという。その投票すら正当であったとは思えないんですけど。そうやって20年、30年ずっと力やお金で押さえ込まれて世論や評判というのが固まってしまったのが、今の状況なんだとつくづく思います。そういうのがなかなか変わらないのが口惜しいですね。」
小林 「ほんとうに、原発ってお金まみれで。力づくで1回通しちゃえば、前例があるから2号機・3号機って作りやすい環境になってしまうと思うんです。そういうのは日本が国として、ほんとうに弱いところですね。その結果が、地震列島なのに50を越える原発が当たり前に建ってしまった。もう一度ここで小出先生にお聞きしたいです。小出先生は本来科学者です。科学者は何のために科学をやっているのか、根っこの部分がわからないでやっていると思われる言動をとられる方も目立ちます。小出先生は、科学を社会とつなげて話をしてくれていると思いますが、社会の動きと原発という科学について、話していただけないでしょうか。」
小出  「学者というとみなさんは清廉潔白、高潔な人間と思われてしまうようですが、そんなことは全然ありません。みんな同じで、金も地位もほしいのです。それを願っている人がほとんどなんですね。ですから、日本全体が金と力で動いているときは、学者も同じようにそこに吸い寄せられます。当たり前にそうなっていく。でも、そんなことでいいとは私には思えなかった。原子力発電は、社会のなかでも貧しくて生きていくのに困難なようなところばかりを狙って、そこに金を落として納得させていくということでここまで来たんだと思います。去年、鹿児島県の川内市に行きまして、ここで原子力発電所を増設するという議会が開かれて、「やってはいけない」という意見を述べました。そのときその場には「やりたい」という意見もあって、その人たちはただひとつ、原発を建ててもらって地域振興をするという気持ちなのです。ただお金がほしいだけです。それだけなんです。それで一度、金をもらってしまったら後々ずっとその金にすがるしかない。ほとんど麻薬のようなもので、その麻薬(お金)が切れたら、次の麻薬(金)をねだるしかなくなるんです。」
小出  「要するに今の社会は、「金」がすべての尺度になってしまっていると思います。金と力が全てで、それを使える一部の人たちがブルドーザーのように社会を押し流し動かしてしまう。私は学者ですから、学者としてしかできないことがあるんですが、先日、衆議院に呼ばれ話をする機会がありました。その最後にガンジーの言葉を伝えました。ガンジーというのはインドの独立を進めた運動家です。彼は7つの社会的な罪があると残しています。その一つは「理念なき政治」----ひたすら金、金で、目先のことでみんなを潰していくということですね。次に「道徳なき商業」----これも金さえあればいいということ。
中国電力も東京電力も道徳がありません。それから「人間性なき科学」----学者は、専門バカになってしまって、社会のことなどわからずに自分の小さな世界だけにこだわる。それでいてポストや金を狙うという学者ばかりになってしまって腐ってしまったように私には見えます。私が東北大学の学生だったころに、女川発電所の原子力発電所建設の反対運動に参加していたことがあります。女川は大変豊かな海でした。漁村へビラを持って一軒一軒配って歩いていたんですけれでも、中には賛成の人もいて話さえさせてもらえなかった。でもだんだんと賛成の人とも話をさせてもらえるようになったんですね。その中で一人の漁師さんが「もう海はだめだ」と言いました。「仕事が辛い」と。自分の息子には町に出て働いてほしいので、賛成なんだと言っていました。でもむしろ町の方がだめで海というのは豊かなもので、永遠に続くものです。海さえ守っていけば生きていけるもの。そういうものを守るような仕組み、海を守って生活できるような仕組みを政治という場でちゃんと考えていく必要があるんだろうなと思いました。一人ひとりみんなが絡んで政治も産業も科学もあるんでしょう。」小さな地域できちんと生きていくこと。

小林 「今回訪ねて、初めてデモ活動を見させてもらいました。もちろん鎌仲監督の映画でも見ましたが、どうしてあそこまですごく強い意志を持てるのか。女性にもかかわらず勇ましくもたくましく映りました。そして素晴らしい団結力だと思いました。孝くんは、こうした女性たちの姿を小さいころから普通に見てきたんでしょう?
山戸 はい。毎週月曜日の夕方6時半から島でデモをやっていて、現時点で1096回なんですよ、凄いですよね?(笑)ギネスに申請しようっていう話もあるんですよ。今、会場にいる女性たちの力です。でも最初はデモのつもりはなかったんですよね。「『原発、わたしら反対じろ。でも島の中には『賛成』と言う人もおるかもしれん。そういう人たちに訴えるためにわたしらは『原発反対』ってやさしく言いよる』と、30人とか40人くらいで歩き始めたらしいんですよ。で、島の中を歩きながら「原発反対」って言っていたらしいんですが、島の駐在さんに止められて。「何しよる」「いやぁ、私ら原発反対って言ってるだけじゃ」「そりゃデモになるけ、ちゃんと申請してもらわんと困る」って言われて。「でもデモってなんじゃ?」って(笑)。それで申請すれば歩けるならと、申請することにしたんです。けども当時、警察側も申請手続きがいろいろと不慣れで、さらに細かくて。申請書類を出すだけで1日かかったそうなんですよ。みんな畑や漁の仕事を一日潰してやっていたと。今でこそ申請もスムースにできますが最初のころを思うと始めたときの「やろう」というエネルギーはすごいと思うんです。お世辞じゃなく、かっこいいなって思います。   
小林 一人ひとりにこの世界に対する責任があると僕は考えるので、人のせいにしていてもしょうがないだろうと。「人のせいにするのはかっこわるい」と公言して、行動しようと意識してこれまでやってきたのですけれど、この場にいらっしゃる島の人たちは、ほんとうに人のせいにしない・・・できなかったとも思いますが、頭が下がる思いです。デモという行動を続けられてきたからこそで、このデモは、いまだに上関町に原発を作らせていない抵抗の証だと思います。僕は正直言うと、闘うということがどういうことなんだろうか、果たしてどんな効果があるのだろうかと少し懐疑的に思っていたところがありました。批判したり攻撃したりすることが、また別の攻撃を生むのではないかと思っていたんですよね。でも批判のための行動ではなく、自分たちが足をつけているかどうかの確認、検証として、ずっと続けていけば市民社会というなかでのデモンストレーションという活動は、ほんとうに意味のある必要なことなんだと思いました。
山戸 デモの話でいうなら、祝島の人がずっとやってきたことが、やっと周りに理解されつつあります。その中で原発推進派の人たちは代替案を出してくるんですけど、「反対」というのは、原発を建てるのを「反対」なんですね。それは、お金がどうのとかエネルギーがどうのっていうレベルではなくて、生きていくうえで命をおびやかすものの存在を拒否する、嫌だということなんです。
小林 ほんとうだよね。
山戸 福島の原発事故を他人事として見るのではなくて、これだけ日本に原発があるということは自分の身に降りかかることと想像力を持って、原発のことを見てほしいです。上関原発の場合、祝島からすれば、ほんとうに目の前に建ってしまう。毎朝、朝日がのぼってくる場所に原発ができると...と思うから反対なんですけど、推進派の中には「田ノ浦だからいいよ、でも自分の目の前に建つなら反対する」という声も聞いたりします。でも原発事故を見ると目の前とか関係ない、背中だろうが正面だろうが被害は一緒なんだとわかる。そのうえで、生きていくうえで何が必要なのかを考えたときに、自然エネルギー。自然エネルギーは原発の代替案というのではなくて、地域が自立していくために必要なものと感じます。僕が祝島にいて安心なのは、食べ物がおいしいということと餓える心配がないということです。海や山でがんばって働ければ、少なくとも餓える心配はないんですよ。同時にエネルギーも自分たちができる範囲で自給できると、おそらく小さな地域がきちんと生きていくことにつながるんだろうと思います。自立して生きていく方法論は、都市部には都市部であるんだと思います。国や電力会社みたいな大きな権力と闘ってきて、苦しいんですよね、やっぱり。
デモをはじめ議会や県庁へ行って、そのたびに何百人という人が自分の仕事の手を止めて休んで抗議にいくのは容易いことではない。この続けていくエネルギーをなんとか原発のない未来につなげたいですね。将来「あの(反対運動の)おかげで、(原発が建たなかった)今があるね」ということの礫になればと望みます。

小林 経済大国とかGNPが2位から転落とか・・・日本が世界に示すような経済的な役割いうのは、とっくに終わっているんですよね。たくさん作って売って、使って捨ててということをするために必要なエネルギーが原子力発電ならば、それはもう必要なくなる。必要なものを要る分だけ作って、必要な分だけ使うという循環。そのために切磋琢磨していい物を作る、そういう社会にいよいよなっていかないと、と思う。
それに、「世界がどうであれ日本から原発を止めようよ」と言いたい。小出先生は今すぐやめようと言っていますが、僕はそこまで言うにはもうちょっと勉強が必要なんですけどね。日本が先駆けて言えるように。そう思うと30年前から「原発はいらない」と言い続けてきたこの祝島は、特別な場所なのかもしれないなと思っています。初めて来てこんなことを言うのは僭越ですが、今回こうしてやりとりさせてもらって、この島が世界中の「脱原発」の中心地になるようなイメージを僕個人としては持ちました。なので、今後ともよろしくお願いいたします。」
鼎談後は、小出先生に祝島の方々からの質問が。貴重な意見交換会となった

――
(男性)福島原発の事故から2カ月以上経っていますが、作業員の方々が被ばくしながら作業するのも大変だろうと思います。作業員は現在どのくらいいて、これからの人員のやりくりなどはどうなるんでしょうか。被ばくということなども含めて教えてください。
小出 被ばくというのはあらゆる意味で危険です。微量であっても危険です。だから日本の国も被ばくしていい限度を法律で決めているわけです。みなさんの場合は「1年間に1ミリシーベルト以上を被ばくしてはいけません」となっています。これは、1ミリシーベルト以上被ばくすると危険という考えに基づいて決められたのです。では私はどうかというと、私は京都大学で原子力について研究しています。放射線があるような場所で働いています。それで給料をもらって、家族と一緒に生活していられるという身分なんですけれども。それで国からは「おまえは給料をもらっているのだから被ばくのほうはガマンしろよ」と(笑)。なので私は「被ばく小出」、とはいえ人間的にはみんな同じなんですけど、これは、みなさんの20倍は被ばくしても仕方がないということなんです。今回、福島の事故を収束させるために作業をしている人たちは被ばくをしながら作業をしています。彼らは本来、私と同じように1年間に20ミリシーベルト以上は危険とされている人たちですけれども、そんなことを言っていては仕事にならないので、彼らについてはいっぺんに「250ミリシーベルトまではいい」ということになりました。この事故を収束させるためになのです。それだけのためだけど仕方がない、ガマンをしなければ仕事にならないということですね。それで汚染の現場に行って、何かしらの仕事をして帰ってきます。それで調べてみたら250ミリシーベルトには達しているわけですから、その人はもう現場には戻れない。そういうことが次々と起きています。詳しい人数は知りませんが、たぶん100人という人が限度に近づいていて、これまでは何百人という人たちが現地で働いて250ミリシーベルトという限度に達してしまい、働けなくなっていると思います。ではどうするかというと、他県の原子力発電所で働いている人たちが次々に送り込まれるようになるのではないかと思います。
でもそれで間に合うのだろうかと私は心配です。この事故処理は、ものすごく長期戦です。これから先「何年」という時間をかけて放射能を閉じ込める作業をないとなりません。作業員の人もできるかどうかわかりません。しかも、現場の作業というのは、誰もができることではなく、特殊技能を持った人でないとできないことです。みなさんは漁師だと思いますが、漁師としての経験、知識、勘があって船上で魚を釣ることができるんだと思います。何もない人を船に乗せたところで魚は釣れませんよね。原発の作業員も同じです。専門的に知っている人に働いてもらいたいのに、ちょっと働いたら被ばく限度量に達してしまう。次に国がやる手段としては、作業できる人がいなくなったら、被ばくの限度量を上げることだと思います。今250を500にするとか。私としてはそういうことは絶対にさせたくないですが、でも作業をする人間は必要なわけです。大変なことです。

山戸 6年くらい前にフランスのフリージャーナリストが被ばく労働のことで取材に来られました。その人も言っていたのですが、フランスでも失業率が高いために、被ばく労働を若い人がやる。被ばく労働をしつづけて、ある程度やったら体がガタガタになってしまって、原発ですら働けなくなる。もちろんふつうの仕事もできないような体になってしまうけれど、決して公にはならない社会問題だと言ってましたね。福島の事故現場だけでなく、どの地域の原発も、原発そのものがどこかしら弱い人を犠牲にしないと動かないシステムなんだろうと思いました。
(女性)私は海でひじきや海藻を採って暮らしています。原発事故のニュースを見ていると、毎日放射能汚染が気になります。海洋に広がったり、雨が降れば地中に入り、それが海に注いでいくと思うのですが、放射能が海に流れてしまうと、日本の海産物はどうなってしまうんでしょうか?
小出 私は海の専門家ではありませんし、食べ物についても詳しくないので、あまり答えにならないと思いますが、海洋汚染については、あまり調査がされていないんですよね。人に関しては年間20ミリシーベルトでガマンしろと。畑や作物、上水下水などについてはあるんですけど、海についてはあまり言われていないんです。でも海洋汚染を調べるには海藻が一番いいんです。なぜなら海藻は魚と違って動けませんから。私は福島をはじめに、ものすごい海洋汚染が茨城、千葉と広がっていくんだろうと思います。祝島まで来るかどうか・・・は定かではありませんが、海は繋がっていますから、全く汚れないということはないかと思います。けれども、福島の海ほどの汚染が祝島で出るということは私はないと思います。みなさんは祝島でひじきを採って、放射能汚染の少ないひじきとして特に子どもたちに食べさせる。安全なひじきを作ることができるのではないかと思います。
(男性) 子供のことで質問があります。学校の校庭で遊べるとか遊べないとか問題がありますが、地場産の野菜を使って給食に出したりしているのは、どれほど影響があるのか全く想像つかないんですけど、いかがなものなのでしょうか。
小出 さきほど言った年間1ミリシーベルトの規制を厳密に守ろうとすると、福島県全域を無人にしないとならないくらい汚染地域は広がっています。けれども、残念ながら、政府の能力と照らし合わせて現実的にそれができるような状態ではないですね。だから国はなんと言ったかというと、「年間に20ミリシーベルト以上の被ばくをするところだけ避難しろ」としたのです。その中にはもちろん子どももいます。子どもは放射線の感受性が非常に強い。子どもは細胞分裂を繰り返して大きくなっていくので、そういうときに被ばくの影響を受けてしまうと、細胞に受けた被ばくの傷がどんどん拡大していってしまうんです。年齢別に比較すると、赤ん坊は4倍も高いんです。
子供たちに対しては、我々大人はこのような原発を許してきた責任があるわけです。責任のない者を危険にさらすというのは許されないことと思います。そのために私たちは、やるべきことはいくつもあります。そこで汚染された農産物や海産物をどうしたらいいかと思いますか?
(会場から)年寄りに喰わす!(場内笑い)

小出 そうですよね。私はそう思うんです。電力会社や国に補償してもらうという手もありますが、補償してどうするんですか? 獲った魚や海藻や作った米や野菜を、育てた豚や牛を、捨てればいいんですか?捨てるために漁や農業をしているわけじゃないんですよね。そんなことあり得ないじゃないですか。人はみな食べるために魚を獲り、豚を育てるのであって、お金をもらうためにやっている仕事ではないじゃないですか。みんな捨てちゃうなんてできないですよね。だから、福島県の野菜や海産物は、そして今後広がるであろう汚染された地域の農作物や海産物は、要するに大人が食べるべきなんです。さっきも言ったように、大人は放射線の感受性がどんどん鈍くなります。50歳・60歳になると、平均の1/100くらいになります。だからいいんです。私も含めてそういう年代の人たちは、原発をここまでさせてしまったという責任もあるわけです。映画に“18禁”という規制がありますが、私は食べ物にもその規制をかけるべきだと思いますね。「60禁」とかね。「汚染度の低いものは60歳以上の人は食べてはいけない」というような(笑)。そういう規制をしてもいいのではないかと実は思っているんですけれども、なかなか賛同してくれる人はいません(笑)。
(男性) 報道などで見る福島の事故のデータは、隠しきれなくなったデータしか公に出していないようにみえるんですが、本当のデータをおおっぴらにすることはないのでしょうか?
小出 おっしゃる通り、隠しきれなくなったから出しているというのがあると思います。さらにもうひとつ恐ろしいのは、データが取れていないという可能性もあるかもしれない。事故現場の汚染が非常に高く、当事者である東京電力すら何が起きているかわからないということになっているのではないかと想像します。私からしてみると、相当恐ろしいことが今まさに起きているなかで、それは大袈裟ではなく即刻全国の原発を止めていいんじゃないかというほどのものです。ですが、それが正しく日本のみなさんに知れわたっていないのだと思いますし、その中には停電したら困るから原子力発電は必要だと考える人がまだいるということに、たいへん驚かされます。電気が足りるとか足りないとかの問題ではなく、原発は即刻止めるべきです。このような状態になってもなお稼動し続けているというのは、日本という国はほんとうに不思議な国だと思っています。
山戸 福島事故以前の話なんですけど、前に小出先生が「上関は原発を建てないよ」と言っていたと聞いたことがあります。それは何を根拠に言われたんでしょうか? じつは当時は反対運動そのものも非常に厳しい状況だったものなので。
小出 ちゃんとした根拠はあって言ったわけではありませんでした。最初、「孝さんが命を奪われそうになったら嫌だと抵抗するのは当たり前で」と言っていましたが、そうなんですよね。私も最初からひたすらそれだけでした。原発は危険だとみんな知っているのに推し進めてきた。東京や都心部の人は電気がほしい、でも原発は危険だから過疎地に押し付ける。私にとっては代替案や妥協策なんて全く興味がなくて、ひたすらダメなものはダメと言い続けてきました。でも勝てなかった。お金の力でみんなを巻き込んでいく歴史でした。でもこの島は違うんです。30年もお金に屈しないで、自分たちの島を自分たちで作っていくという意識に溢れている。だからいくら金で切り崩そうとしても、切り崩されることなく続いてきている。だから私は「上関町に原発はできないだろう」と言ったんですね。いくら向こうがやろうとしても、地域が自立していこうとしていたらできないなと思ったんです。(場内から拍手)
小林 今日はお集りいただきましてありがとうございました。原発事故については解決できるのかどうかわかりませんが、今後も長い時間をかけて解決すべく当っていかないとならないことと感じています。今回の事故で僕らはもちろん、若いミュージシャンや影響力のある人たちも、発言したり行動を起こしています。これから先もフクシマを見捨てることがないように活動していこうと思います。そしてこの島には、今後の在り方の重要な要因がいっぱいあると思います。微力ではありますが、小出先生のような強力な助っ人と島をつなぎながら、原発がなくなる流れを作っていきたいと思います。
一緒にがんばらせてください。ありがとうございました。 

資料小出裕章×山戸孝×小林武史 祝島で語る

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終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)

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     吉田 悟郎(東京:旧制成城高校新聞部OB)

                

                


            
ブナ林便りの序章に次の二項目がある。

 上関原発で揺れる上関町祝島報道特集 
 祝島が問いかけるものウェークアップぷらす 

そして第一章には次の二サイトが置いてある。

 祝島島民の会
小出さんがまっとうに生きることと語った瀬戸内の小島

 祝島ホームページ

映画『ミツバチの羽音と地球の回転』・映画『祝(ほうり)の島』
2010年に第19回JSC賞を受賞した大久保千津奈さんが撮影したドキュメンタリー映画『祝(ほうり)の島』を購入した。この際、「終わりの終わりは今始まった」をひとまず終える最後に、この山口県上関町祝島と、ここの島民の三十年越しの健気な闘いのことは、どうしても語っておかねばならない。
それには、小出裕章さんが山戸孝・小林武史とともに祝島島民の会に招かれて、島民とともに20世紀メディア研究所の聞き手と語り合った公開対談を紹介するのが適切だと思った。2011年5月29日の催しである。
まず、小出はこう語り出す。「今日は祝島に来てみなさんから元気をもらいたいと思ってきました。20年ほど前になりますが、私は一度ここに寄せてもらったことがあります。みなさんのデモのお尻にくっついて歩かせてもらったんですね。そのとき、こういう豊かな自然の中でこの自然と寄り添いながら暮ら
している人がいるんだと元気をもらって帰った記憶があります。今回も。
 
福島原子力発電所の事故以来、なんとも気分がよくなく、元気を分けていただきたい。それだけで来たかったんですが、小林さんと一緒にこんなところに出ること(登壇すること)になってしまったんですが(笑)。
そこで、小林が、「いまが原発推進か脱原発かの分かれ目という大事な局面だ。自分も祝島のことは、鎌仲ひとみさんの映画を見たが、それ以前から祝島のみなさんのことはうかがいたいと思っていた、現在の原発事故については小出先生しかいらっしゃらないので、まず小出先生に原発事故についてお話いただいたら」と、話を切り出す。
小出裕章さんの福島原発事故についての話。「非常に簡単なことで、原子炉が壊れて放射能が放出されています。そのわけを説明します。原子炉の中の燃料についてどういうイメージをおもちでしょうか? ウランですが、ウランは焼き物――瀬戸物と思っていただいていいです。お茶碗、湯呑みでもお皿でもいいです。その瀬戸物は固くて、なかなか熔かすことができないと思うのですが、その瀬戸物がドロドロに熔けてしまっているという状況です。一般家庭のガスコンロでもそんな温度にならないことはおわかりのことと思います。」「そういう温度で原子炉が溶け落ちてしまった。これを“メルトダウン”といいます。先日遅すぎる公的発表がありましたが。1号機から3号機まで地震発生直後にメルトダウンしていました。この原子炉は圧力容器の中にあります。この圧力容器は、圧力鍋を想像してください。圧力鍋は鋼鉄で出来ていて、厚さが16cmというたいへん分厚いものなのですが、そこに2800℃を越えたドロドロに溶けた瀬戸物の塊のようなものが落ちました。けれども鋼鉄というのは1400~1500℃で熔けてしまうので、熔けた瀬戸物の塊はその底を抜けて落ちて行っています。その先には同じように鋼鉄で出来た格納容器があります。そこに熔けた瀬戸物が落ちて、その鋼鉄も熔かして穴を開けてさらに落ちて行く。これを“メルト・スルー”――熔けたものが突き抜けていくという意味です。」「こうしたことが、福島の原子力発電所で、現在進行形で起きています(注:5月29日時点で)。これが4つもあります。その先は、地面に熔けたウランがもぐりこむことになります。それがやがて地下水に混ざって海へ注がれ・・・と、汚染をひろげていくことになります。政府や東京電力は、安定化に向かっているとか収束の方へ向いているとして、「5~6ヶ月の間に安定化させる」と発表しましたが、とうていそんな短い時間で出来ることではありません。これから何年にもわたって放射能との闘いをしないとならない状況です。そういう状態になっています。『チャイナ・シンドローム』という世界・・・・・。」「人類が未知の、いまだ経験したことがないようなことが起きています。なので、溶けた瀬戸物が―ウランのことですが―地下水に接触したときにどんな現象が起きるのかは、正直わかりません。水蒸気爆発が起こる可能性があるかもしれません。その爆発が起きるとまた放射能が大量にまき散らされることにつながりかねません。仮に爆発が起きなかったとしても。水は100℃になれば沸騰するので、接触したときに沸騰しながら水分が失われていきます。その場所は、水分が蒸発してしまい、乾燥した土みたいになってしまう。そしてマグマのように熔けた土が汚染することも想像できます。いずれにしても地下に入ってしまうと、人間に打つ手がありませんので、汚染が広がるのをそれに任せるままになるかと思います。・・・多分何メートルという深さまで落ちて、そこで周りのもの―恐らく水分など―に冷やされながら固まるのだろうと私は思います。・・・もともとは瀬戸物のようなものが熔けたものです。地面に接触して地面を熔かし、地中深く落ちながら放熱もするので冷えてどこかで固まります。放射能をばら撒きながら固まっていきます。(「落ちて行っている燃料はどれぐらいの大きさなのですか?」という質問に答えて)ウランの量は約100トンです。・・・100トンという巨大な瀬戸物の熔けたものが落ちて行っていると想像してください。」
以上で 原発事故についての小出さんの話は終わるのだが、その後 ほかの機会に小出さんが原発事故について話された大事な点については祝島の会の紹介のあとで付け足したい。 
(「終わりの終わりは今はじまったばかり(その四)前半」を終了、次回の「後半」に続く)

画像福島原発3号機建屋、爆発画像。

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