2017年7月 4日 (火曜日)

読書は趣味

Photo_2

連載コラム
後ろ向きだって、良いじゃない掲載。

| | コメント (0)

2017年5月 8日 (月曜日)

 私の世界史学習 今日このごろ-2

9784062735285_w
 
                    吉田 悟郎旧制成城高校新聞部

最近、佐久の医者‏色平哲郎の<どのような戦前を目指しているのか)という文章を読んだ。以下同氏の文章。
 一口に戦前といっても、幾つもの時期があり、多種多様な要素が混ざり合っている。今政権を盛り立てている勢力は、そのうちどの面に対しファナティックな情熱を示し、どの面に無関心なのか。このことから、私たちがどのような被害を受けることになりそうかを予測することができる。彼らは、カミカゼ特攻隊、散華(さんげ)、英霊といったものを崇高なものとみなし、ファナティックな感動を示す。また、日本国憲法、個人の権利、個人の自由 といったもの を憎む。また、中国と韓国が日本に「逆らう」ことに常軌を逸した憎悪を示す(中国が 超大国になった21世紀に、この上下感覚は滑稽ですらある( そして国防上きわめて危険である)。対して、日露戦争で局地的な勝利を得た後、自軍が消耗しきっている事実を認識し、高額の賠償金や領土割譲をあきらめた明治政府の判断をほめたたえる、といったことはしようとしない。それどころか、アメリカと無謀な戦争をしたエリートたちを復権しようとする。
 これらのことから、現在の「ウルトラ・ナショナリスト」勢力が取り戻そうとしている「戦前の美しい日本」なるものは、明治維新以降さまざまな部分が混ざり合って進む日本近代史の中で、昭和初期から敗戦までの時期に暴走し、悲惨な結果をもたらした最悪の要素であることがわかる。一言でいえば、それは個を超えた集合的生命として崇拝される〈天皇中心の国体〉なるものである。この共同幻想が世界の八隅を一つの家のように覆う(八紘一宇)ことをめざす、祭政一致の全体主義社会。これが昭和初期から敗戦までの大日本帝国であった。( http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51438

前回に述べた畏友三木亘に次いで長野の板垣雄三は、かねがね我らに巣食う<欧米中心主義>に替わるスーパー・モダニティを求めて、21世紀の16年には次のような思考に到達した。地域に世界の超近代を発見・発掘するこれまで、「伝統(じかた)vs.近代(西洋)」という図式が災いして、世界各地の社会・文化に具わる自前・土着のSupermodernityを見落としてきたのではないか。以下の 例はどうか?
琉球 いちゃりばちょおでぇ(行き逢えばきょうだい)
南部アフリカ ウブントゥubuntu(みんながあっての、わたし)
上座仏教世界 パンチャシラPanca-sila 殺生・盗み・姦淫・嘘・薬物依存の禁止
心機一転して、読み替えの材料としてみては?
 世界ことわざ大事典 柴田武・谷川俊太郎・矢川澄子、大修館書店、1995年) 世界ことわざの泉 山形孝夫監修、河北新報出版センター編、2008年
宮本常一『庶民の発見』、『家郷の訓』など(同著作集、25巻、未来社)
 
安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』・『文明化の経験(安丸良夫集全6巻、岩波書店)・・・通俗道徳、民衆宗教の視点からー任意の地域の任意の文学作品
板垣雄三 板垣は、「日本」イデオロギーの西欧<近代>の病変との同調を指摘している。
「和」三国意識(本朝・唐土(震旦)・天竺)  
和(倭)国Identity
本地垂迹説→根本枝葉花実説→国学 西洋出現    
脱亜入欧かアジア主義か 粟散国・盟主 八紘一宇
輪・環・我 内/外むくりこくり鬼が来る福は 内鬼は外
板垣雄三「アジアと日本」『アジア現代史4』、青木書店、1983年板垣雄三「戦後史批判」『歴史家が語る戦後史と私』、吉川弘文館、1996年
征夷 
 俘囚・熟蝦夷 武士団 征夷大将軍の権力  
サムライ 征服・拠点構築 反乱鎮圧 騙まし討ち 武士道美化
 分断と収奪と統合 植民地主義・人種主義 ・軍国主義 島津入り・琉球処分 蝦夷地
北海道開拓 台湾・朝鮮・樺太・南洋群島 満蒙開拓団 欧米の植民地主義との並行性
板垣の指摘する「日本」イデオロギー即西欧<近代>の病変と同調、欧米イデオロギーに代わりこれを補強するものとしての日本イデオロギーの存在に気づかされた私も、「西洋史演習のなかでの日本史イデオロギーの存在」(『自立と共生の世界史学』1980年、青木書店)に書いている。だが、多くの歴史家,日本史家の中で(日本イデロギー)の批判を試みる者は板垣ぐらいではなかったろうか。板垣雄三「戦後史批判」『歴史家が語る戦後史と私』(吉川弘文館、1996年)は、そのことを示している。私自身は、オキナワへの構造的差別に気づき、「血を流し引きずり出される乗客」と「沖縄」がダブってみえる。
cf. 2017年4月13日「時代をみる」澤藤統一郎(Tweet<澤藤統一郎:弁護士>)
征夷大将軍、アテルイ顕彰などを経て、日本イデオロギーの根強さ、そして現在の(美しき日本)の氾濫へ。戦前への逆行。
 アテルイを題材とした創作(編集) 1990年代頃からアテルイを題材とした様々な創作 活動が起こっている。
小説 『陸奥甲冑記』澤田ふじ子著。1982年第3回吉川英治文学新人賞を受賞。『火怨』高橋克彦著。アテルイと坂上田村麻呂との戦いをアテルイ・蝦夷の視点から描いている。2000年吉川英治文学賞を受賞。『炎立つ』高橋克彦著。奥州藤原氏の興亡を描く作品で、冒頭でアテルイと坂上田村麻呂の因縁が描かれる『帝都幻談』荒俣宏著。
漫画 『阿弖流為II世』原作・高橋克彦、作画・原哲夫XEMBALA シャンバラ』津寺里可子作 アテルイと坂上田村麻呂をモチーフにした漫画。Madman call』作・津寺里可子 上記シャンバラのキャラであるアテルイ達の遺伝子を継ぐ者達の現代での戦い。
アニメ 『アテルイ』 2002年 長編アニメーション。没後1200年を機に製作された。 
舞台 創作人間影絵劇『アテルイの涙』-1992年当時、岩手県の小学校教師だったジョヴァンニ安東が児童と共に制作・発表し、地元岩手で大きな反響を呼ぶ。
ミュージカル ミュージカル『アテルイ-北の燿星』(わらび座)-原作は小説「火怨」。2004年「月刊ミュージカル」誌の作品部門で10位にランクイン。タキナ役の丸山有子は小田島雄志賞を受賞した。
ミュージカル『阿弖流為―ATERUI―』(宝塚歌劇団星組)- 原作は小説「火怨」。脚本・演出:大野拓史、主演:礼真琴。2017年夏に梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、日本青年館にて上演予定[10]AKURO 悪路』(TSミュージカルファンデーション) - 初演2006年・再演2008年に公演された舞台。演出・振付:謝珠栄。悪路王をアテルイとして描いた作品。
歌舞伎 『アテルイ』(劇団☆新感線)2012年に新橋演舞場で公演された。主演・市川染五郎。2015年には『阿弖流為(あてるい)』の題で歌舞伎化された[11]
︎TVドラマ 『炎立つ』 -原作は小説「炎立つ」。NHK大河ドラマ。阿弖流為役:里見浩太郎、母礼役:塩見三省
『火怨・北の英雄 アテルイ伝』 - 原作は小説「火怨」。2013年1月のNHKBSプレミアムBS時代劇及び土曜ドラマで放送された。主演・大沢たかお
ゲーム 『阿弖流為伝』 (ウォーゲーム日本史)
音楽 『アテルイとモレの逆襲』- ソウル・フラワー・ユニオンのシングル「極東戦線異状なし!?」に収録。
ウェブサイト アテルイの復権・顕彰活動を進める「アテルイを顕彰する会」の発信幅広いアテルイ顕彰活動の情報サイト「アテルイを顕彰する会」→<夷>通信
やや古い文献ですが
WEB雑誌『憎まれ愚痴』/『亜空間通信』306号(2002/07/18)
阿修羅投稿を02.12再録┃憎まれ愚痴入口┃木村書店┃911事件『亜空間通信』80歳前後の2人は旧知で1人は未知の歴史碩学3人の911「テロ」巡る電網鼎談 三木亘・板垣雄三・吉田悟郎

画像: 火怨 上 北の燿星アテルイ

| | コメント (0)

2017年5月 2日 (火曜日)

内海信彦個展のお知らせ

170424_utsuminobuhiko_old

ギャラリイ K
での個展は、ちょうど中間地点で、
今週の5月6日土曜日までです。

内海信彦展 Nobuhiko Utsumi Individual solo exhibition New Innerscape Multiverse Series 2017 4月24日(月)〜5月6日(土)  11:30〜19:00 土曜日〜17:00 
うかご覧くださいますようお願いいたします。

| | コメント (0)

2017年4月22日 (土曜日)

私の世界史学習 今日このごろ-1

 Miki 
                   吉田 悟郎旧制成城高校新聞部


 三木 とは、20世紀~21世紀を通じて世界史研究・世界史教育の多くの面で切磋琢磨し合い、多くの刺激をうけてきた。吉岡力の歴史教育研究所で、また東京外国語大学の研究会で。

 彼は20世紀の60年代から、普通、文部省などが指導要領で法的に規制しているいわゆる<世界史>を 欧米伝来の<悪の世界史>と批判してきた。→三木 悪としての世界史 (文春学藝ライブラリー2016年三木  ()21世紀も17年の現在、シリア・北朝鮮におけるワシントン政権の動きは世界を撹乱している。<マスコミに載らない海外記事>サイトに<シリア: トランプは第三次世界大戦を始めたのかも知れないPeter Koenig Global Research>という海外記事が掲載された。驚いたことには、そこでPeter Koenig が指摘し警鐘をならしていることが、日本の三木亘の警告と一致するということだ。Peter Koenigは、経済学者で地政学専門家。彼は元世界銀行職員で、 世界各地で環境と水資源について広範囲に働いた。日本の三木亘と一致するPeter Koenigの警告をしばらく聴いてみようか。シリア: トランプは第三次世界大戦を始めたのかも知れない<Peter Koenig 月8Global Research
 トランプ大統領はシリアのホムスに近いアル-シャイラート空軍基地に対し、地中海のアメリカ戦艦から少なくとも59発のトマホーク・ミサイルによるシリア攻撃を命じた。ホムス県知事のタラル・バラジが、数人の死者を報告しているが、現時点ではそれ以上の詳細はない。このトマホーク攻撃は、4月4日、イドリブ県の一般市民を標的に、多くの子供を含む、60人以上を殺害したバシャール・アル-アサドによる神経ガス攻撃とされるものへの反撃ということになっている。
 世界級’偽旗作戦の異臭紛々だ。だが誰もそれを嗅ぎ取らず、誰もそれを見たがらず、誰も聞きたがらず、特に、誰も話そうとしない。真実を語ってはならないのだ。何らかの調査で真実が明らかになる前に、即座に攻撃をしかけなければならなかったのだ。いつもそうだった。証人の殺害だ。ワシントンと、そのシオニストのご主人は、それを良くご存じだ。
 ペンタゴンはモスクワに攻撃を知らせたと語っている。まだロシア政府から反応はない。 プーチン大統領は先にこう述べていた。“徹底的で偏りのない国際的な調査が行われるまでは、誰かを責めることは認められない。”元CIA職員でCouncil for the National Interestの理事長、フィリップ・ジラルディが、諜報に“精通している”“軍や諜報機関の職員”たちが、アサドやロシアがこれを行ったという言説は“でたらめ”だと言っていると述べている。これは、アサドのせいにするために、CIAがそそのかし、サウジアラビア-トルコの飛行機が実行した偽旗作戦の典型例だ。欧米売女マスコミが、2013年、アメリカの“人道的”軍事介入を正当化するために、東グータの化学兵器攻撃で子供たちが殺害されたのと同じウソを、欧米諸国民の洗脳された頭に流布し、たたき込んだ。当時も、今回のように、ウソがばれる前に、即座にワシントンによる攻撃が行われるはずだったが、プーチン大統領がワシントンに攻撃せぬよう、さもないとひどいことになると警告して介入し、調査を主張した。シリアのタルトゥースのロシア海軍施設とフメイミム空軍基地がアメリカの攻撃に反撃する用意ができていた。
 後に、この攻撃はシリア軍によって行われたものではなく、アサド大統領が命じたものでもなく、それは実際またしても、CIAが引き起こした2011年‘内戦’開始のずっと前、2009年以来計画されていた‘政権転覆’を正当化するべく、アサド大統領のせいにするため、シリアの反対派、いわゆる反政府派、実際は欧米が雇ったテロリストが行った、偽旗作戦だったことが疑いようもないほどに明らかにされた。
(http://www.globalresearch.ca/the-ghouta-chemical-attacks-us-backed-false-flag-killing-children-to-justify-a-humanitarian-military-intervention/5351363
 骨の髄まで腐りきった欧米世界が、こうしたウソをうのみにし、シリア国民に選ばれ、今も80%以上の国民の支持を受けているシリア唯一の正当な大統領、アサド排除のため、対シリア戦争を、実際あからさまに要求しているさまを見るのは気がめいる。有名な社会主義者連中、いわゆる平和推進者の目は、欧米大企業のウソ機構のおかげで、かすんでいるのだ。そういう光景を目にするのは悲しい。彼らは欧米の犯罪的マスコミを信じているのだ。彼らにとってさえ自分自身がおそらく終生、だまされてきたことを認めるのは余りに困難だが、今や現実を探し求め、見るべきなのだ。連中にはそれができない。自国民、シリアの子供たち、シリアの未来を殺して、アサド大統領に一体何の利益があるだろうと自らの内心を見つめ、自らに問うことをせず、シリアが未来を持てるよう神よ助けたまえと祈るのだ。こうした卑しい‘進歩派’は高潔すぎるあまり、現実を認めることができない。そのかわりに連中は一緒に目がくらみ、‘政権転覆’を要求している。それこそまさに、この不快なワシントン中心部のホワイト・ハウスと呼ばれる暗殺者連中記念建造物の背後に潜む、ワシントンとシオニストの下手人連中が望んでいることだ。
 我々はまたしても、より高次元の‘グラディオ作戦’の中で暮らしている-そこでは悪が支配し、かつて人類と呼ばれたものの中で最も恐ろしい連中が権力を握り、世界覇権という、連中の大きな目標のため、無辜の人々を冷酷に殺害。このユダヤ-キリスト教‘文明’(原文通り)には、十字軍による1000年以上の殺害、そしてそれに続く、アジアからアフリカ、更には中南米に至る世界中の国々と人々の植民地化しての殺りくと強姦と搾取の実績があり、終わりがない。我が欧米‘文化’は、堕落した大天使ルシフェルと、強欲と権力のために殺りくを続けている彼の金融界の一族に売り渡されたのだ。
人々よ目覚めよ! - さもなくば、次はあなたかも知れない。
 何か変だ、采配を振るっている連中はウソつきだ、世界の正義は悪と共ににあるのではない。正義は隷属や権力や物質的利益ではなく、平和と我々人類兄弟姉妹の団結と調和を求めている、と語るひらめきが、我々全員の頭のどこかに残されているはずだ。この怪獣は何の良心の呵責も感じないことにも注意が向けられた。その目的は一つ、全面支配で、この目標が完全に実現されるか、あるいは怪物、例外的な国が、他のものに支配され、機能停止させられるまでは、いかなる場合も諦めようとはしない。
  人々よ、立ち上がり、帝国を機能停止させよう!
 ユーゴスラビア、リビア、イラク、ソマリア、アフガニスタンがそうであり、今後更にいくつもの国々がそうなるだろうように、シリアとて、この残忍なチェス盤の一角に過ぎない。狙いは‘戦争に勝つ’ことではない - それは単純に 過ぎる。狙いは、その後に永遠の混乱を産み出すことだ。シリアの場合は、クリントンがユーゴスラビアに対して行ったような複数の小国に分割することだ。いつもの‘分割して支配’は、何百年たっても機能する。人は今もこうした最古かつ、最も基本的な戦争戦略が見えないのだ。人々は今でも、まんまとそれに引っ掛かる。気づいてはいけない。ウソは鵜呑みにするものだ。
 シリアは、いちかばちかの状況にある。戦争・兵器業界のあきれるほどのもうけに加えて - 湾岸からヨーロッパに石油とガスを送り、ロシア・ガスのヨーロッパ市場を消滅させ、アメリカの巨大石油企業が何兆ドルも儲けるはずだった、カタール-トルコ-シリア・パイプライン。アサド大統領が2009年に拒否したこのパイプラインについては、ほとんど語られることがない。逆にアサド大統領は、シリア経由でヨーロッパに向かうイラン・パイプラインを承認し推進した。イランの炭化水素は、ロシアからヨーロッパへのガスと石油と競合するのではなく、むしろ補完するはずだった。そこでオバマは、バシャール・アル-アサドを排除しなければならないと決めたのだ。それは、小国に分割した中東で、軍需産業が絶えず紛争をあおり、最終的に、サウジアラビアの一部、イラク、ヨルダン、シリア、レバノンとエジプトを併合し、ユーフラテス川からナイル川にまでわたる大イスラエルに至るより大きな全体像にもぴったりだ。“これは暴虐だ。違法な同盟の下で仮装し、あらかじめ定められた奴隷化がやってくる。ヒトラ=のかまど風ではないかも知れないが、組織的で疑似科学的な人類の隷属だ。人類の全くの屈辱だ。人類の恥辱だ”、ギリシャ人詩人オデッセアス・エリティスの ノーベル賞受賞記者会見時(1999年)の言葉。
■■■

 ブナ林便り開始から15年、事態はどう変わったか。<一銭五厘の詩>が示すように、万事が戦前に逆行、防衛予算は戦後最高となり、武器輸出に大企業・政府懸命。独裁政権は三分の二与党にアグラを書き、庶民の命、福祉など眼中にない。改憲・戦争は目の前だ。いや、狂気の時代にある。
★→雑談日記(徒然なるままに。)ひなたぼっこ|バナー倉庫
★★おまけに
[PDF] 47回*2006年7月2日 パネラー:三木亘 リプライ講演:いいだもも 
これはおもしろい 是非読まれるとよい。
狂気の時代 そんなことあるか?というかた。昨日今日の数々のウエブを御覧あれ。
Wsfj18808色平哲郎「安倍政権が吹っ飛ぶ」加計学園問題で関係者が重大証言 2017年4月13日
五十嵐 仁の【転成仁語
共謀罪法案の審議が抱える3つの弱点と1つの壁 [国会]

マスコミに載らない海外記事 Paul Craig Roberts『ハルマゲドンが近づいているのだろうか?』2017年4月14日

画像:(悪としての世界史 三木 亘)

 

| | コメント (0)

2017年2月23日 (木曜日)

内海信彦 個展

Utumi2017
ギャラリイK

| | コメント (0)

2017年2月 9日 (木曜日)

ユートピアを求めて

Cvf3zjvwiaavgge
                 淵上 渉(慶應高校新聞会OB 1969年卒)

あれから50年。
兼重君、小熊君、古屋君、吉永や斉藤君たちと深夜、市ヶ谷の防衛庁の前の庭に寝転がったり座ったりで、全国高等学校新聞連盟の総会のテ-マや会議の進め方についてかんかんガクガクの打ち合わせをしたことが頭に浮かびます。あの時は、私は分科会のリーダ-みたいな仕事を任されました。
 大学を卒業して、当時ジャスコに就職することになっていましたが、難病を抱えていたため、採用が取り消されて、故郷の紀州、新宮に戻りました。家業を手伝いながら、チャンスがあれば、世界に羽ばたく新聞記者になれないか、とか、政治の世界に進めないかとか、最初の10年くらいは、夢を捨てずに過ごしてきたように思います。今では、「こっちの方で良かったな。」配達や営業の合間、海を眺めながら、お弁当を食べられる幸せに満足しています。
  家業に入って15年頃から、会社の方針について、親子喧嘩が盛んになり、「父ちゃんが出てゆくか、自分が出てゆくかどっちかにしょうら」とか言って、両親を困らせました。ある時、母親から,「おまえがあんまり言いすぎると、父ちゃん首吊ってしまうかもしれんで」と言われました。母親は自分の味方なのですがこの時ばかりは親父に味方しました。
それから20年。私は、車いすに親父を乗せて、海の見える施設のまわりを周遊したり、会社に連れてきて、社長のイスに座らせ、「父ちゃん、この日報もう一度点検してくれんか」とか、仕事を与えて、親孝行しました。ある時、施設から携帯に電話が入り、「渕上さん、食事も食べてくれんし、様子がおかしい」と言ってきました。弁当を食べながらふと、「父ちゃん死にたがっているんかな」と、一瞬頭をよぎりました。夕方施設を訪ねてみると、やはり、親父は息を引き取っていました。
  私は、高校の頃から、ト-マス・モアの「ユ-トピアだより」を読んだり、マルクスやエンゲルスの共産主義思想に凝っていました。その延長でベトナム戦争に反対したり、資本主義に抵抗してたように思います。今、故郷で、家業を継いで、アイスクリ-ムや飲料水の自販機の問屋を営んでいます。
私の会社には、定年制は設けていません。私が、家業に入ったころの社員2名は、私と同じ、勤続40年になり、現在兼務役員をやってもらっています。又、社員12名の平均勤続年数は27年になります。66歳になった今、私が考えていることは、「自分に、もしものことがあった時、この会社はどうなるのか。」です。
  もはや我社は、単に自分たちだけの生計の為だけでなく、地域に欠くことのできない公器となっています。又、苦楽をともにした社員に転職させるわけにも行きません。現在40歳の中堅どころが自分たちと同じように65歳になっても、今の自分たちと同じように仕事が続けられるように、そんな会社にしたいと思っています。
 ある時、山の中の右と左に分かれる要所の民家に自販機をすすめました。採算は電気代が取れるかどうかの不採算店なのですが、おばあちゃんから、「ずっと向こうの田んぼまで灯りが届くから、よかったで」と言われました。うれしくて、毎年年末に、新宮の名物お菓子を届けています。十津川村の山の中の90歳のおばあちゃんの店では、アイスは欠くことのできない贅沢品になっています。時々畑で採れた野菜を社員がもらってきます。お礼の電話をすると、小一時間長話になってしまいます。
それから、こんなこともありました。
 今から4年前、この南紀州に大きな台風災害があり、あっちこちで50名ほどの人が亡くなりました。うちの会社も90cmほど水に浸かり、私は胸の中程まで水に浸かりながら事務所のコンピュ-タ-を高い場所に移しました。その水害のあと、道路は山崩れで寸断され、1週間後に、車で20分で行ける隣の町まで行くのに、1時間半ほどかけて山道を遠回りして得意先にあいさつ回りした帰り道、夜遅く山道を帰ってくるとき、対向車が30m、50m先で灯りを向けたまま止まっている場面が10回位ありました。お互いにそのまま進むと、狭い山道なので交差することができません。それで、先方から来る車を見たら、前もって、交差できるところで停車して待ってくれていたのです。感動しました。おそらく平時に於いては、我先にと追い越してゆくような人が、この時は、譲り合うことができたわけです。それからずっと、この時の出来事を考えてみました。三陸沖の地震の時も、住民の行動が順番を待って水や食料を分け合ったこと。
 私は、その原型は実は、あの鎖国や身分制度の、暗い江戸時代に培われたのではないか、と考えています。今まで、江戸時代といえば、暗くて、閉鎖的な社会と考えていたけど、実はこの時代に 戦争の無かった、あの江戸時代に、集団の中の自分の役割、人としての素養を学んだのではないかと。
私は、この自分の故郷で、生きてゆく、仕事をすることに満足しています。
 今やりたいことは、社員がくじをひいて当たった者が会社の代表になる事。社員の一人一人が誰でも、代表にふさわしい資質、責任感を持てること。又、周りの者が代表の置かれている立場、境遇を理解して、助け合う素養を磨くこと。社員の誰でもに、(能力、性格は別にして)集団としての謙虚なリ-ダ-シップを身に着けさせること、そういう気組みはぐくむ会社に仕上げることが、私の目標となっています。

 

| | コメント (0)

2017年1月 2日 (月曜日)

あけましておめでとうございます。

Siryoutenbana3

本年もどうぞよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2016年12月 4日 (日曜日)

ある風景

2016_033_2


| | コメント (0)

2016年11月 1日 (火曜日)

ある風景

Iawa_2

| | コメント (0)

2016年10月 3日 (月曜日)

内海先生のドロップアウト塾

Utumi
第2期初回講義
「イタリア・ファシズム建築と現代日本建築の奇妙な類似性
                           ―コモのテラーニ『ファシストの家』を訪れて」


<日時>2016年10月3日(月)18:15開始
<場所>早稲田大学 早稲田キャンパス11号館7階703教室
<アクセス>
・地下鉄東京メトロ東西線;  「早稲田」駅から徒歩5分
・山手線、新宿線、西武鉄道新宿線;「高田馬場」駅から徒歩20分
・副都心線;           「西早稲田」駅から徒歩17分
・都電荒川線;          「早稲田」駅から徒歩5分

https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

| | コメント (0)

2016年9月 1日 (木曜日)

ある風景

Nara_055_3



| | コメント (0)

2016年8月22日 (月曜日)

高校新聞部の今-読売新聞 

20131202oyt9i00470l_2

                                                【2013年12月05日】
若者の活字離れが指摘されるなか、高校の新聞部には、輝きを放つ活動で学校を活性化させているケースがある。

校内の風をつかみ、風を起こす新聞部の今を追う。
意見のバランス
11月中旬、福岡県柳川市の私立杉森高校で開かれた文化祭。
 伝統のファッションショーに出演した女子生徒らは目に涙を浮かべていた。学校側が経営難を理由に、1895年の創立時から続く被服系など2学科の募集停止を決めたため、このショーも今年で最後。取材にあたった同校の新聞部員たちも複雑な思いで壇上を見つめた。
 生徒9人が所属する新聞部は8月の全国高校総合文化祭で「全国高校新聞年間紙面審査賞・奨励賞」を受けた。2学科の募集停止に猛反対する生徒らの声を報じた「杉森新聞」の昨年10月号が評価された。
 学校に吹く「『凜とした風』と『伝えることの重み』を改めて感じた」という審査評が寄せられた。顧問の今村貴子教諭(40)は「部員たちが悲しみ、苦しんだ涙の結晶」と話す。

 紙面化までには紆余曲折があった。2学科募集停止が表面化したのは昨年6月。3年生らが全生徒の95%にあたる669人の反対署名を集め、翌月、約100人が校長室に押しかけて廃止の撤回を直談判する騒ぎになった。
 新聞部の当時の2年生たちは、その様子を克明に記録し、特集を組もうとした。しかし、ゲラ刷りの段階で学校側からストップがかかった。「内容が一方に偏っている」(後藤洋二校長)という判断だった。

 「主観を交えずに事実を記録したのになぜ」(3年の徳永まりあさん)と泣き出す部員もいたが、新聞部はあきらめなかった。3年生だった原武弘宗・前部長が後藤校長と交渉し、3か月後、発行にこぎ着けた。
 記事は見開き2ページを使った。左面では反対署名を提出した時のドキュメントで生徒側の動きを再現する一方、右面に後藤校長への一問一答形式のインタビューを載せることでバランスを取り、学校側を納得させた。
 部員の間では「自分たちの母体の学科をなくさないでほしいという生徒の思いが削られ、違う新聞になってしまった」(3年の樋口朋泰君)と悔やむ声もあったが、多くの生徒から「学科存続への願いをよく伝えてくれた」と反響があったという。

部の判断で号外

新聞部と学校側の意見がぶつかるのは珍しいことではない。
 兵庫県市川町の私立市川高校(石田俊平校長)では、一昨年夏に自殺した生徒について、紙面化を控えるよう学校側から新聞部に申し入れがあった。「志望してくる中学生に影響がある」といった理由だった。
 しかし、新聞部は話し合いの結果、「二度と起きないよう、みんなで考えることが大事だ」と判断し、号外の発行に踏み切った。事実関係だけでなく、命の大切さ、再発防止にできることを考えさせる内容になった。その後、学校側も、生徒たちの心の健康状態をチェックする体制を作った。
 試行錯誤を繰り返し新聞編集に取り組む生徒たち。相反する意見にも耳を傾けながら粘り強く活動している。

終戦直後から歴史

全国高校文化連盟によると、各都道府県の加盟校のうち、新聞部がある学校は今年度、735校。新聞部の指導教員で作る全国高校新聞研究会の松井孝二会長(65)は「東日本大震災を受けて多くの学校新聞が特集を組むなど、社会に向ける生徒たちの目は健在。紙面のレベルも高まっている」と見る。
 高校新聞の歴史は終戦直後まで遡る。全国の新聞部が集まり、1950年8月に全国高校新聞連盟を結成。東京で開かれた結成大会には173校が参加し、「客観中立公正」を柱とする高校新聞倫理規定を採択した。新聞編集は自主性にゆだねられ、「生徒活動の花形」と言われる活発な時期が続いた。
 「60年安保」から「70年安保」にかけて政治問題を積極的に取り上げたが、大学紛争が高校にも及び、廃刊に追い込まれる新聞もあった。90年代以降は、管理を強める学校側が、新聞の内容を事前にチェックする動きも広がった。 

画像:  2学科の募集停止を特集した昨年10月の「杉森新聞」。下は、5学科としては最後の開催となる今年の文化祭を報じる最新号。

 

| | コメント (0)

2016年8月 1日 (月曜日)

ご冥福をお祈りします。

C9001c31f5a9c42a0bacdc660a4bbd5b

 

沖縄 首里高校OB 玉城 朋彦(たまき ともひこ)氏が逝去されました。

 

玉城氏は当ブログで、連載コラムを執筆されていました。

沖縄から日本へ

| | コメント (0)

2016年7月 1日 (金曜日)

贈呈-大内編集顧問より。

Photo_2

| | コメント (0)

2016年6月 1日 (水曜日)

ある風景

Photo

| | コメント (0)

2016年5月 2日 (月曜日)

ある風景

Kilyouto1

| | コメント (0)

2016年4月20日 (水曜日)

内海信彦 個展

Utumi

2016年4月25日()~5月7日() 
  11301900(最終日は1700まで)
  

ギャラリーK

| | コメント (0)

2016年4月 6日 (水曜日)

ある風景

Photo_2


| | コメント (0)

2016年3月23日 (水曜日)

世界史学への道程

 1                吉田 悟郎 旧制成城高校新聞部

ブナ林便り』のトップページに書いたように、私の世界史学への道程で初期から影響を受けてきた稀有の知性に年齢は私より若いが、中東学者の三木亘板垣雄三の二人がいる。上原専禄先生とともに、この二人に出会えたことは幸運であったと思う。

 三木亘(1925~)については、それほど知られていないので、彼の学歴をウィキペデイアで見れば、慶応義塾大学名誉教授、専門は歴史生態学、民族生業学、世界史学など。東京大学文学部西洋史学科を卒業後、都立高校教員となり東京深川高等高校、東京都立大学付属高等学校などで歴史学を教える。その後、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授となった後に、慶応義塾大学文学部教授に赴任する。同大学の名誉教授として退職後は、静岡精華短期大学教授を歴任した。」とあり、著書・訳書として、『イスラム世界の人びと』東洋経済新報社1984年、『世界史の第二ラウンドは可能か』(これからの世界史2)平凡社1988年、『KMパニッカル インドの歴史』東洋経済新報社『1959年、Wモンゴメリ/ワット地中海世界のイスラム』筑摩書房、1984年、ちくま学芸文庫2008年、とある。
 東洋経済から出した『イスラム世界の人びと』は全巻三木亘の編集で、第一巻総論の「世界史のなかのイスラム世界」という画期的な重要な論考は三木亘の書いたものであり、1954年に刊行を開始した東洋経済新報社の上原専禄ら監修の『世界史講座』全五巻も三木亘が編集に携わっている。三木とのつきあいは、駒場東大の裏門の近くにあった吉岡力さんの「歴史教育研究所」で始まり、以後世界史学への道程の過程でさまざまな場で彼から享ける刺激は大きかった。
 今度、全国高校生新聞から投稿を依頼されたので、三木亘から三王(昌代)さんを通じて頂戴した『三木亘著作選 悪の世界史』を開いてみたら三木先生の慶応での教え子一年生である詩人 新井高子さんの『姫路の吟遊詩人ーほんとうの知性』という三木亘先生の全貌を詩的才能で歌われた極めて大事な文章を読ませていただき、これはと感じてネット入力させていただいた。
 三木亘について、これほど丹念に描かれたものを拝見できたことは、新しい喜びであり。道半ばである私の世界史学への困難な道程にとって新しい励みにもなるものである。版権の問題などあろうが、ご無礼を省みず、つぎに全文掲載させていただく。次代の子供たちに三木亘という先達のことを是非知ってもらおうと思うから。

新井高子  姫路の吟遊詩人-ほんとうの知性
  『出会いは、一九八六年四月、私は大学一年生で、三木先生も一年生、慶応義塾大学教授に着任した春だった。「東洋史概説」をなぜ選んだのか。よく分からない。一般教養の単位を満たすためには違いないが、当時の私は、詩か荻原朔太郎をテーマにしようと、二年になったら仏文科か国文科に進むつもりでいた。
 百人は入る教室、古ぼけた日吉校舎の重厚な窓枠は,風が吹くと、がらがらんとよく響いた。学生が七、八人しかいなかったから、翌年以降は、東洋史学科随一の人気科目になるわけだから、贅沢なこと。
 三木先生はたいてい遅れて現れ、「先週、どこまで話したっけ?」の一言がある。学生の理解を確かめているのではなく、ほんとうに忘れてしまったようなのだ。教壇のすぐ前に座った学生が、いつしか答える係りになった。「ア、そうか・・・・」と少し笑った先生は、照れかくしなのか間持たせなのか、必ずしばらく咳払いする。そして、風の響きに応じるように、低音の美声で、三木節を始める。
 生態系から見た地域論、周辺から覆されていく権力交替論、ムスリムの信仰行為など、本書(『悪の世界史』三木亘著作選)にも収録されているような三木理論が授業でも展開されたのは言うまでもないが、ちゃらんぽらん学生の私は、「脱線」も楽しみだった。
 「あ、いま、ひょっと思い出したんですが・・・」が、お決まりの入り口。チュニジアで食べた魚料理がどれほど美味しかったか、ファイルーズの歌声がごれほど素晴らしいか、カイロの薬屋で働いていた少年の瞳がどんなに輝いていたか・・・。ディテールまで如実に伝える語り口なので、例えば、チュニジアの話なら、その海の素晴らしい青色が私たちの眼前に浮かび、先生が市場近くの食堂に立ち寄れば,生唾がこみ上げるほど逸品なイワシのオリーブオイル揚げ。カリッと尾ひれがにおいたつような。そうして、教師と学生の頭の中にともに浮かんだ地中海の魚たちはどうも勝手に泳ぎだす。インド洋、東シナ海を渡り、何時しか、先生の住まいのある、三浦半島の地魚や漁法の豊かさにまで転生してしまう。
 そこで、アレッと首を傾げ、絶妙の間合いで、「俺、最初は何を話してたんだっけ?」。ふたたび、先ほどの学生から助け舟。「そ、そうだった、そうだった」と頬を染める。先生は、もちろん照れ笑いしているのだが、細めた目のなんと福福しいことか。
 このような自由自在の比較論、まさしく奔流する知性に惹かれ,専攻を東洋史学科に変えてしまうのだが、そんな学生が決して珍しくなかった。人間まで勝手に泳がす才能、ふと脱線させて引き寄せる度量が、どうやら三木先生にはあるらしい。講義を「ライブ」と自称し、先週の内容さえ忘れた様子なのは、実はそのときの自分、そのときの相手、互いの波長を敏感に感じとりながら、語りたくなったことを存分に語り下ろすため、イワシのフライへの脱線は、もしかしたら、腹が減った学生の顔に閃いたのかもしれない。
 本書の刊行のため著作を読み返し改めて実感したのだが、このような術は、文章でもあちこちで発揮されている。初期のものにも萌芽はあるが、八○年代に入ったあたりから、いっそう加速がかかる気がする。いわゆる書き言葉に飽き足らず、話し言葉的なレトリックを旺盛に取り込み、洒脱な脱線による横断も踏まえつつ、歴史理論や中東社会、フィールド体験を記していく方法。読者の心にじかに語りかけるような、論文とエッセイのはざまの書き物である。八二年の「宮本常一さんのこと」、八五年の「等身大ということ」、九二年の「つきあいがかんじん」など、この手の名作がたいへん多い。
 都立深川高校、都立大学付属高校の社会科教師として生徒と向き合いながら、授業を語り物、つまり声の人間表現に構築し出し、更に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)ではふんだんなフィールドワークを積んで、中東やインドの人間そのものと出会った三木先生による、何とも素敵な知恵の花。
 「先生には吟遊詩人の才能があるような気がする」と私がぽつんと呟いたとき、まんざらでもなさそうな、いや、かなり愉しそうな表情だったのは、むしろ確信的に、それに近いことを目指していたからではないだろうか。世界史的なパラダイムによる大胆な文明論、イスラム世界の香料薬種商の丹念な調査などの業績は言うまでもないが、ながらく講義に耳を傾け、いまでは詩の書き手になった私が、その立場から、三木先生が取り組んだ大事な仕事の一つを挙げるなら、「声の史学」の創造なのだろう。
 後世に記述を残す歴史と、発したらすぐ消えてしまう声とは、一般には相反するものどうしだが、「からだ」なるものを媒介に、先生は二つを結び付けようとする。ご自宅の車庫のスペースに、イスラム関係の貴重な資料が山積みになったまま、しばらくシャッターさえ開けていないことが話題になったとき、「いいんだよ、おれの資料はもうぜんぶ、からだに入ってる」と言って退けた。ノートやメモを講義に持ってきたこともほとんどなかった。会えば、最近読んだ面白い本を必ず教えてくれ、米寿を迎えてなお好奇心旺盛な先生だが、基本は身一つの人。
 おそらく慶応に赴任する前後から、からだに残ったものだけを教えて信じてみると言う、研究者としてはかなり過激な方法を選び出したのではないだろうか。まるで、フィールド先で出会った、文字をさほど重視しないアラブの語り部のように・・・。記憶の中に薬草学の奥深い研鑽、土地の人が温めてきた何百年もの知恵の時間を埋没させた存在の振る舞いに、自分と史学を実験台にして、なり替わることを意図したように・・・。
 さきほどの名作たちは、ふつうの大学教員がものするときの方法、文献資料を机の脇に置き、たびたび参照し引用し・・・という方法をほぼ無視している。記憶にあること、からだに埋まっていることを頼りに、対象の「本質」に迫ろうとする。身から湧いて出るほど、こなれた知識でなければ、けっきょく個人を支えられない、状況を変える力にはならない。つまり、読み手の明日を新しくする「ほんとうの知性」にはならないという達観、いや哲学なのだろう。今日の知の枠組みそのものに,礫を投じるアジテーション、批判行為でもある。
 三木先生の集大成の一つ、『世界史の第二ラウンドは可能か』〈平凡社、一九九八年)が、AA研でしばしばフィールドをともにした家島彦一先生を聞き手にした、語り下ろしであったのは、言わばそうでなければ成立しなかったのだ。「文字」でなく、「声」によって史学を創ること、その結晶ではないだろうか。
 ご自身が仕掛け人であった社会史という分野を開拓しつつ、いつしか、ひょいと、宙返りしてしまい、歴史という野原に自ら立って、「ハーメルンの笛吹き男」を演じているような、そこを大学生という子供たちが群がっているような、幻惑を私は感じる。
 知的なおしゃべりを学生たちにもさかんに勧めていたのである。関西生まれの先生は、「京都の学問にはその伝統があったが、野蛮な東京は・・・」と。
 これまで何度、いっしょに酒を飲んだだろうか。ゼミの飲み会から始まって、卒業後もえんえんと・・・。ほんとうに数えることができない。気に入った本や映画、旅先での出来事を青い私たちが話し出すと、いかにも楽しげに頷いてくれたっけ、今からすれば、語りはもちろん、おしゃべりさえなっていない、ことばの断片だったろうに・・・。衒いのないカケラから人を育てようとされていたのだと思う。私が第一詩集を出したとき、いの一番に届けると、「お嬢さん芸!」のひと言で一蹴されたが、ひらり、厳しい一面も纏いつつ、ちなみに、大学卒業後に全国銀行従業員組合書記をされていた時代、のちに石垣りんを世に送る『銀行員の詩集』を発案したのは三木先生、シャープな詩の読み手でもある。ハーメルン,否、「姫路の笛吹き男」は、流れ流れてたどり着いた関東平野で、喉という楽器を鳴らしながら、自己と周囲を新しくできる人間へとけしかけるべく、日夜、人さらいをする。本書を手にする次なる子どもたちも、祝福するかもしれない。これは危険な本でもあろう。
 では、なぜ、そのような笛を選んだのか、続けるのか。しばらく前、ご自身の自伝をやはり声で語る会があったが、生い立ちから終戦前後までの体験が大きかったようだ。
 一九四五年三月十日、東京大空襲の深夜、第一高等学校の学生だった先生は、駒場の寮の屋上から、燃える町を見下ろしていた。そのとき、その炎を、どこか「美しい」と感じてしまったようだ。焼夷弾の嵐は頭上を襲うかもしれないのに・・・。
 どうしようもなく、世の中からズレている。そんな人間は、いや、じつは、美しいと感じることに決めてしまったのかもしれない。敢えて、恐怖や怒りより先立たせたのかもしれない・・・と私は思う。かなり本能的ではあるけれども、れっきとした意志の働きではなかったか。空襲の夜が明け、下町へ恋人を探しに行けば、何人もの絶命を目にしたと言う。三木先生には、何とも腹深い捩れというか、ご自身にもたぶん制御できない生意気がある。焼けていく地平を見つめながら、その記憶を反芻しながら、壮絶を,だからこそ梃子に変えたくなるような、妙な心。
 反骨と呼ぶこともできそうだが、先生の場合、虐げられた経験や思想の吸収から次第に獲得したのではなく、ほとんど三つ児の魂で持たされたようなのだ。播州一円に草履を商う仲卸し問屋の息子として生を受けた当時の姫路は、商都であると同時に、日本帝国陸軍第十師団と歩兵第三八連隊の司令部が置かれた軍都。つまり、地付きの商人と移住してきた軍人、二つの異なれる人種の軋轢を生まれながら感じざるを得なかった。それをつくづく感じられるほど、内面的で聡明な少年であった・・・。妙な心のはじまりは、そんな子供の「牙」ではないか。自転車ですれ違った軍事教練の教官に敢えて路上で挨拶せず、あとでコテンパンに殴られたこともあったという。だから、生意気のほうがかえってふさわしい。既存の知の秩序への挑発も孕む「声の史学」、その発想の根も、姫路の町ッ子の感性なのだろう。
 本書は、慶応大学の同僚である湯川武先生の卓抜な編集手腕のもと、教え子たちが結集し、デーaタ入力を分担して代行される。孤立社会、出版不況と評される中、三木先生の意気の胞子は、しぶとく受け継がれようとしているんじゃないか。姫路の吟遊詩人の奇跡として・・・・。』
入力を終え、はっきり想いだすことがある。
今は止まっているが、以前は頂戴した三木先生の賀状に必ず記してあった言葉である。 

   戦国乱世に生きる また 愉しからずや

悪としての世界史』の頒布
| 東京大学中東地域研究センター

画像:「世界史の第二ラウンドは可能か  」(平凡社)

 

| | コメント (0)

2016年3月 1日 (火曜日)

ある風景

2

| | コメント (0)

«内海信彦 個展