2012年5月16日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(6)

800pxhands_off_gaza_stop_the_bombin                  吉田 悟郎 (旧制成城高校新聞部OB)

「巷間、“アラブの春”については、ねじ曲げた「お話」や「想定外」といった言い方が多いが」として、板垣は言う。「ほんとうは、2000年のパレスチナインティファーダ(蜂起)を皮切りに、革命にむかう運動の積みかさなりの前史があったのです。私(板垣)は、それをずっと観察してきました。」ここで2011年に中東で起きたムワーティン=市民革命について考えるための重要な着眼点を挙げることにします。これは中東を知るためのカギとしても役立つでしょう。
革命は、米国の覇権とイスラエルの横車とを批判する運動の爆発。それらを支え、それらとこっそり手を結んで生きのびてきたアラブ諸国の政府が、はげしい抗議の突き上げに揺さぶられる。だから、この革命は一国ごとの民主化より、世界の不公正な仕組みの変革をめざすもの。
そのように広範囲にひろがる政治変動が引き起こされる土台は、パレスチナ問題。(私が20世紀の70年代から板垣らに学び、「パレスチナ問題は、今や激変する世界史の核芯だ」と感覚的にいってきたもの)。それは、宗教や民族のあいだの紛争ではなく、植民地主義の支配  それに対するレジスタンス=抵抗。つまり、欧米が殖民国家としての「ユダヤ人の国」イスラエルをつくり支えるが、そのイスラエルによって排除・追放されるパレスチナ人が民族浄化に抵抗するという重層の構図。
そのようなパレスチナ問題が生まれる根源にあるのは、ヨーロッパ(欧米)が歴史を通じて抱え込んできた反ユダヤ主義(ユダヤ人いじめ、差別、迫害)。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の「償い」だと言ってパレスチナ人に犠牲を押しつけながら、ユダヤ人を隔離し棄民するイスラエル国家をつくる。この偽善のボロを出さぬため、欧米は、人工国家イスラエルをまもる。イスラエルは中東で欧米の利益をまもるため、軍事国家としてニラミをきかす。
「パレスチナ問題は、植民地主義を「仲直りと平和」や「民主化」の問題にすり替えてみせるバーチャル装置だが、パレスチナ人同胞の苦難を自分の苦難と感じる世界中のイスラーム教徒を騙せない。そこで,イスラーム教徒をテロ容疑者に仕立てる「反テロ戦争」をグローバル展開する。「反テロ戦争」は根拠が危ういイスラエル国家の危険を管理する防衛戦争であり、全世界を混乱に陥れ、パレスチナ問題の扱いを全人類に肩代わりさせて欧米は道徳的責任をまぬがれる、「自己破産」のための戦争でもある。」 そう、板垣は説く。この脳みそをフル回転させないとわからないカラクリ、何度か読み返してもらえば、だんだん事柄が見抜けるようになると思います。わかってしまえば、次のような謎が自然に解けるはずです。それでも、まだ残る疑問については、自分で調べ、考えてください。
 中東で市民の立ちあがりが、国を超えてひろがったのは、なぜか?
 パレスチナ問題が、全世界を巻き込む問題であるのは、なぜか?
 欧米の国々が、中東やイスラームに とかく干渉がましいのは、なぜか?
米国とイスラエルが、やたらと戦争をしたがるのは、なぜか?
 1979年、イラン革命―米・イスラエルがイランから追い出される―米国はイスラエルとエジプトに国交結ばせ、二国拠点に中東支配再編成―2001年以降の「反テロ戦争」(アフガニスタン・イラク・パレスチナなど)―米国覇権の衰えとイスラエル国家の危機とめどなく進行―イスラエルのパレスチナ人しめつけはアパルトヘイト時代の南アも顔まけの息を飲むむごさ―ヨルダン川西岸では入植地拡大、隔離壁を張り巡らせ水源を奪い、ガザ地帯は封鎖された幽閉地にされ、物資の流れを断ち、住民の生命を脅かし、爆撃と暗殺作戦―イスラエルに協力してガザを封鎖するムバーラク政権への市民の抗議は、自分の人間らしさを取り戻す行動となる―こうして、中東の革命の嵐がおきた。
 
ムバーラク政権は倒されたが、今もつづくシオニスト・イスラエルのパレスチナ人、ガザや西岸そして東エルサレムに対する形容できないような暴虐野蛮な行動は、毎日の『ブナ林便り』のBOICOTTIL サイトやIMNECサイトそしてTHE ELECTRONIC INTIFADAサイトを見れば、ますますひどさを増している。まさに、<野蛮化・地獄化>した<近代世界史>の極致であり、世界の平和と自立・公正を愛する市民たちにとっても最大の汚点である。私も歩行不全でなかぅた若い時代にBoicottilの抗議行動に参加した。1879年以来、米国は、対外援助の全体の約半分をイスラエルとエジプトに注ぎ込んできたのだから、エジプトの革命の意味は絶大である。米国の衰退とイスラエルの孤立とはさらに加速するだろう。こうして、中東の市民たちの要求は、世界のありかたを変革することなのです。
 
中東で、米・欧・イスラエルが主人顔でもてあそぶパレスチナ問題の不公正さは、世界中で植民地主義と人種主義・軍国主義がつくりだすあらゆる紛糾(こんぐらかり)のハブ(中心)のような位置にあります。パレスチナ問題が、これまでのありとあらゆる思い違いへの誘導・誘惑を乗り越えて、あらためて不公正・不正義の世界の象徴的「結び目」と意識され始めたのです。ホロコーストにいきついた欧米社会のユダヤ人差別の歴史に加えて、パレスチナ人の世界離散と「ユダヤ人国家」(人種主義+ポストコロニアル植民地主義の国家)とを積み増ししてしまった欧米中心主義。それは、イスラーム憎悪の「反テロ戦争」によって、いよいよ末期的な状態にいたっています。
 
このことが、イスラエル国家に反対するユダヤ人を含めて、ひろく世界の民衆の間で直感的に見抜かれるようになりました。中東で始まった新・市民(ムワーティン)革命が人類史の新しい段階を開くとき、ムワーティンが市民の元祖だということが顧みられることになるでしょう。中東の社会は、古来、都市・商業・政治を生きるなかで、個人主義・合理主義・普遍主義をはぐくみ、ネットワークとパートナーシップの組織のあり方を活用してきました。イスラームは、そのような生き方を思想と実生活の体系としてまとめてきたものといえます。その基本であるタウヒード(多即一)の理念は、イスラームが世界史的に展開させはじめた超近代性(スーパーモダ二ティ)の土台なのです。ヨーロッパの近代はそのような展開のローカルな(ヨーロッパという小半島)現れでした。政治社会を成り立たせる「社会契約」は、のちにヨーロッパ人の理論家たちが理屈だけこねますが、7世紀の契約文書として預言者ムハンマドが締結した「メディナ憲章」の記録が残っています。ところが、ヨーロッパはイスラーム文明から多くを学習することによって拓いたヨーロッパの近代を、世界史のなかの排他的な中心=模範としてすえつけ、近代はヨーロッパからひろまっていくのだという「語り」を武力でもって裏付けるようになりました。これが欧米中心主義です。
 
イスラーム教徒たちも、その勢いにおされて、タウヒードの精神を弱めてしまったのでした。いま、<世界を変える>と<自分を変える>が同時に強調されるようになったのは、そのためです。タウヒードの働きを活発にすると、世界は「欧米  イスラーム」といった二項対立で成り立ってなどいないことが、はっきりしてきます。事実、世界中で市民たちの立ち上がりの多角的な共鳴・共振が、無限大のネットワークを形づくりつつあるではありませんか。以上が、板垣が「どうしても言わなくては」と感じたパレスチナ問題の位置づけである。私も20世紀の70年代から板垣のパレスチナ問題との取り組みのあとについて、細々とではあるが中東―イスラーム、そしてパレスチナ問題の学習を続けてきたと思う。そしてそのころから、<パレスチナ問題こそ世界史の核心ではないか>と考え続けたのである。そして91歳にもなった老輩として21世紀の初め、<欧米中心主義>の世界史にわれわれが完全にいなされている、飼いならされているという惨状をつくづく感じるのである。世界史を探って半世紀以上、欧米中心の<世界史>こそ<世界史>だ、それ以外の歴史などあるはずがないと信じている人が殆どであること。この壁の厚さ、重さ!蟷螂の斧のたたかいはまだ始まったばかりだ。そして、歴史の進歩、変遷についても「先進」欧米基準という観念が日本史、自国史を考える場合も変わらず、原始―古代―中世―近世―近代―現代という時代区分やその社会構成、文化変容の基準についても欧米に「右へならえ」であること。進歩―先進/後進のものさしは明治以来、欧米を手本にしてきていることは庶民大衆を含めて変わらないのではなかろうか。(つづく)
    (次回は「私とパレスチナ問題」-その一 私の十字軍学習-

 参考

THE ELECTRONIC INTIFADA
IMNEC
boycotti 
パレスチナ問題解決の必須条件としてイスラエル民衆の目覚めと決起がある。
拙稿ネット イスラエル人の目覚めー軍務拒否運動など 
シオニスト・ユダヤ人の現代イスラエル建国は一種の十字軍だった
フィリピン南部では欧米キリスト教背力の来寇前にはイスラームがひろがり始めていたマニラでもムスリムが南洋日本人町の日本人と軒を並べて店をはっていた。
その後、南部の残るムスリムに対する北を占拠したキリスト教軍隊の南部への十字軍はずっと、今でも続けられている。
拙稿ネット 21世紀のモロ戦争ーフィリピン南部、ミンダナオ・バシランとグリーンベレー
高橋和夫の国際ブログ

 

 

 

 

 

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2012年5月 3日 (木曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(5)

800pxoccupy_wall_street_crowd_2011_          吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

 
 板垣は、私の言う<始まりの始まり>をもっと論理的・歴史的―世界史的に明確にする仮設を出してくれた。
垣仮設をも少し詳しく見てみよう、まず、かれは<あたらしい市民革命>の<目標>について、五つの目標を整理し仮設する。確かに、童子丸開 のバルセロナ報告『15M キンセ・デ・エメ』というスペインの2011年5月市民蜂起現地報告や田中龍作 のローマ(原発の国民投票時 )やNYオキュパイ―1%の横暴に抗議する99%の市民行動)の現地報告を、<ブナ林便り>や<ちきゅう座>のサイトで読んだ人はこれに近い感想を持ったにちがいない。まず、板垣が第一にあげている「サティヤーグラハ」について
サティヤーグラハ(サンスクリット語起源の言葉、真理への執着・こだわり=愛と勇気)の運動によって、世界変革と自己変革を同時並行ですすめる非暴力の不服従をつらぬき、不正な権力に身をさらして抗議し抵抗する直接行動、「自分の生き方を変えることで世界のあり方を変えよう、人間の倫理と世界の革命とを組みあわせよう」というのである。マハートマ・ガンディーの南アフリカ・インドで指導した解放運動に、インド人ムスリム同砲と協力する中から編み出した抵抗方式。―こう、板垣は説明する。
 
非暴力で不服従という言葉は聞いたことがあるだろう。アヒンサー(不殺生,非暴力)の思想も、ここにつながる。私が生きてきた91年間、シベリア出兵から今のイラクアフガンの戦争、南北スーダンの戦争まで戦争の絶えた事はあっただろうか。暴力・武力は対抗的な暴力・武力によっては一掃されることはない。暴力は,一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。マハートマ・ガンディーはいう、「非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するよりも雄々しいことを、信じている」「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものなのです」。「現代の戦争の主な原因は、地上のいわゆる弱い民族を搾取しようとする非人間的な競争にあるのではなかろうか。」中島岳志の『ガンディーからの“問い”―君は「欲望」を捨てられるか』(日本放送出版協会、2005年)という本や、子供向けには目良誠二郎の『平和と戦争の絵本()非暴力で平和をもとめる人たち』大月書店、2003年)という良い本がある。
 
第二の目標として板垣が整理し指摘したのは次のことである。架空の理屈や議論というようなものではない、先にあげたような市民蜂起・市民行動のなかで、おのずから湧き出ている市民たち自らの生み出した行動様式ともいえるものなのである。
ネットワークとパートナーシップという組織原理で社会を築く、指揮・命令したり管理・統制したりする上下関係ばかり増やしていく社会に反対。もともと、イスラームの教えるタウヒード(多即一、ちがいを大事にすることこそ一体性の土台――バラバラでいっしょ・多様性あふれる宇宙の創造主を信じる)の考え方がネットワークを世界的にひろめた歴史がある。ヨコに(対等に・多角的に)つながり合いと相乗作用(かけあわせをひろげていく個人やグループのおのおのが、いつも「まんなか」性と「はじっこ」性とを同時に発揮するようなネットワークのはたらきを、これからは市民自身の手で強めていく(国や企業に踊らされるのではなく)世界全体で活力をもつ地球社会をめざすのだという方式が示されている、革命もこのやり方で進めようとしています。-まさに、われわれの「オトナ~そしてオトコ中心社会ではない、われわれにとってはこれから創造してゆくべきいわば未来社会ではあるまいか。
板垣があげている三つめの目標は、
「正義・公正」と「安全・平和」を実現するため、たゆまず努力する。
侵されつづけた「人間の尊厳」・「人間存在の重み・一人前の誇り」・「自由と自立」・{多様性の尊重と連帯」は、気を緩めずに回復しつづけなくてはならないという感覚でいよう。そこで、植民地主義・人種差別・軍国主義{戦争と切り離せない経済・社会のしくみ}と、それらを丸ごと根っこで支えているオトナ中心主義とに、つよく反対することになります。欧米中心主義や歪んだ資本主義が、軍事力の威圧、金融操作の手品、国際機関の決定だという締め付け、マスコミの世論操縦に支えられて、資源や市場の不公正な支配にしがみつき、競争と格差を拡大して人間の生きる権利と生きがいを踏みにじり、カネ儲けのためなら、いのちも生態系も環境も破壊して平気、という異常な世界にしてしまったのでした。こんな迷走を正そうとする批判に対して、隙あればつけこみ騙しと妨害、気を許せないのです。――大資本・大企業の横暴とか、とくに金融操作の手品(詐欺行為)、といってもピンと来ない人も多かろう。最近は、イギリスの優れたジャーナリスト、ジャクソン・ニコラウズの書いた『タックスヘイブンの闇―世界の富は盗まれている!』、(朝日新聞出版,2012年)という好著も出ている。童子丸開の現地報告スペインの2011年5月の全国的市民蜂起もこの大銀行・金融資本の詐欺行為に対する99%市民の全国蜂起で、まだわれわれ日本人の気づいていない問題でもある。
第四に板垣が指摘するのは、
環境との共生・共存する環境を守り育てる世界と自分を変える市民社会のなかで、いのちを大切にし、生物の多様性・文化の多様性・宇宙の多様性を尊重し、「少数者」を大事にすることが、あらためて重要視されるようになりました。生物・無生物あわせて、それぞれに違う多様な「個」が結びあい、支えあいケアしあう深い関係の総体である自然。アダムの子孫たち(バヌー アーダム)=人類は、自然への畏敬のこころをもって、環境共生に連帯し、影響をおよぼしてきた人間の責任を自覚しなおすことが強調されるのです。宇宙の「公益」に反した操作をわざとしてはならない、と。ユダヤ教やキリスト教の聖書の創世記には、人間は地上のものを「支配する」と書かれています(1章28節)。しかし、イスラーム教のクルアーンでは、人間は自然を「信託」された{お世話を引き受けて預かったものだ}が、不正や愚かしさがバレてしまうとも書かれています(33章72節)。これらの言葉をどう理解するのかも、いま問われなおす問題なのです。―自然との共生である。われわれの列島で破壊され、過疎化―均された大都市一元化につぶされた、かつての人間性や地方性を失った全国総ての「地域」を思え!-そして、最後、第五に板垣のあげたものは、
修復的正義{関係者みんなで協力して「正義」をうち立てなおすこと}を実践する何が真実か徹底的に調査し明らかにする仕事を通じて成り立つ和解や、反省・自己批判をつうじて実行される リドレ(redress 英語でリ{もとのように=人間のよい本姓を理解して}・ドレス(まっすぐにする)から、是正・補償}などが追究されます。正義をなしとげるには、ただ悪者を打倒して権力を奪い、排除・抹殺すればよい、とは考えず,悪には正義を明らかにするためにこそ悪として存在する理由があった、という風にも考えようとするのですね。
 
以上は、新しい市民革命の目標・理念あるいは特性として、私(板垣)が注目した特徴点です。私は、世界史上「ブルジョア革命(フランス語のブルジョアは「まちの大衆・市民」)と呼ばれる17世紀以後~20世紀の民主主義革命「社会主義革命まで含む」革命に対して, 革命を革命する 新しい市民革命の「ムワーティン革命」(アラビア語のムワーティンは「住みなす大地(ワタン)と結びつく人々」 と呼びたいと思います。新しい革命の特徴点は、まず、2011年1月~2月エジプトやチュニジアの市民たちの革命への実践行動と熱望とから見分けられたものでした。ところが、新しい革命志向と共鳴・共振して世界にひろがった市民決起のなかでも、つぎつぎ同じ特徴点を発見することになりました。
 
また、大震災のうえに福島原発事故がつけ加わる苛酷な現実と向きあうことになった2011年の日本の社会でも、市民の動きには間違いなく共鳴する志向性が確認できたのです。それは、カイロのタハリール広場で脈うつ思想と響きあうばかりか、息づかいまでピタリと一致する、抑制のきいた言葉として語られ、人々を感動させました、9月19日、東京・明治公園の「さようなら原発」集会のステージから、ハイロアクション福島原発「せかいへ40年実行委員会の武藤類子さんが行ったスピーチがそれです。ここには、「人間の尊厳」や「世界変革と自己変革」の結びつきなどという言葉はでてきません。でも、日本の社会が向きあう現実の中から。武藤類子さんが力強くも美しい日本語で結晶させた実践課題は、私が新しい市民革命の特質として整理してみていたことと、あまりにもしっくりとかさなり合うではありませんか。
 
いま日本で、「いのちを奪うな」をもっとも敏感に、するどく、はっきりと要求して立ちあがあっているのは、女性たちです。収束しない原発事故のもとで放射能汚染の危険が高い地域と、基地負担が軽くなるどころか犠牲を背負わされるいっぽうの沖縄とでは、ことにそうです。オトコ中心主義への批判が新しい市民革命の目玉だということが、日本でも浮かびあがっています。では、中東から世界へと市民の立ちあがりがひろがりだす その矢先、フクシマ原発事故が起きたことについて、どんな意味、どんな教訓を、読みとればいいでしょうか。真実の隠蔽・歪曲、虚偽とごまかし、いじめといやがらせ、暴力と排除・・・・このようなことが罷りとおる日本が、地震・津波という自然の戒めを受けただけでなく、人類を巻き込む核災害をひき起こしてしまいした。しかも、それは、不正義・不公正の世界にけじめをつけ世界を変えようとする市民(ムワーティン)革命が中東で燃えあがり、これと呼応する市民の立ちあがりが世界全体にひろがろうとする、折りも折り、もちろん、日本の原発事故は世界の市民の立ちあがりを一層促進します。と同時に、この核災害にどう取り組むか、が人類史の新時代をひらくムワーティン革命にとって、最初の試金石となるのです。日本の国あるいは社会が、日本の責任として、原発事故とその影響に対処していくのはあたりまえのことですが、それは人類全体が協同して取り組む対処“パートナーシップ”を強める一部分でなければならないでしょう。
 
日本の取り組み方は、新しい市民革命に対してどんなかかわり方をしようとするか、答えることでもあるのです。日本のなかで、原発事故をこんな角度から考える市民の動きは、オーストラリアのウラン鉱山の拡張や環境汚染に対する先住民族、インドでの原発建設反対運動のうねり、中東の非核地域化をもとめ、日本の原発輸出の受け入れにも反対する中東諸国の市民運動、との連携などにも、現われています。しかし、国際的連携も大事ですが、それぞれの持ち場での運動が離れていて共鳴・共振するような超(ハイパー)パートナーシップの成りたちはもっと大事でしょう。そこで、板垣は、<新しいムワーティン=市民>革命が、どうして中東から出発したのか、そして、その地球的拡大は世界をどのように変えるだろうか>という、板垣がぜひとも話しておきたいことにたどりつくのである。
                         ・・・
つづく
参考
武藤 類子さんを知るために。
 ハイロアクション福島原発 -9/19【さようなら原発】武藤類子さん - YouTube
おかんとおとんの原発いらん宣言 
福島からあなたへ・武藤類子さんインタビュー - YouTube
福島原発反対を闘って」福島県三春町武藤類子さん
武藤類子『福島からあなたへ 』(大月書店2012年5月/03)、13~33頁に2011.9.15明治公園スピーチ全文。

参照資料。
新しい市民革命のいい実例の記録です。 
童子丸開「銀行家どもに食いつぶされる欧州 
     ポール・クレイグ・ロバーツ論文和訳」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15Mキンセ・デ・エメ) 第8話
(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」
童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)第7話
         5月15日から10月15日への「長征」
童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)第6話
         限界、分裂、そして広がり」
童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):   第5話
         世界に広がる「スペイン革命」
童子丸開「515
スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):      第4話
     暴力反対!」

童子丸開「515スペイン大衆反乱 キンセ・デ・エメ):      第3話
     広場を取り戻せ!」                 第2話
童子丸開「プエルタ・デル・ソルへ!」
童子丸開 「バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ」  :   第1話

三木亘 
世界史のなかのイスラム世界『イスラム世界の人びと1総論』
                       所収1984東洋経済

 

 

 

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2012年5月 1日 (火曜日)

更新

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トップ画面の、アニメを更新しました。

編集委員会】

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2012年4月25日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(4)

Akyu         吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)


<私が見てしまった「人類史の夜明けの虹」の話>が熱情あふれる感じで語られている。まず、彼は1931年生まれ。不思議なことに、それから10才、 20才、30才・・・と10年単位、彼の人生の区切りの年ごとに、歴史の曲がり角がやってきた、という。自分史と世界・日本史の共時性であろうか。
私はちょうど板垣の10年前、1921年生まれ。まず1921年は、ウラジオストック出兵ではない、1918年から1922年まで続けられた「シベリア出兵」は第一次世界大戦時の連合国がロシア革命軍に囚われたチェコ軍団救出なる「大義名分」で行われた、ロシア革命に対するいわば干渉戦争であった。参加した連合軍中、兵力の大半は日米の軍隊で、日本軍は各国より数十倍多い兵力7万3000人、4億3859万円から9億円(当時)を投入、3333人から5000人の死者を出し撤兵したソ連側の死者・損害の詳細は未だ不明であるようだ。1920年には連合軍は相次いで撤兵したが、日本軍は単独で1922年まで駐留を続けていた。各国からは領土的野心を疑われ、「一物も得ずして撤兵した敗戦」である。だが、その後も対ソ基地としての「満州国」樹立、対ソ戦想定の「関特演」、ノモンハンの敗戦とソ連敵視の軍事行動は続く。敗戦後の「シベリアなど抑留」は、ある意味で「シリア出兵」の裏返しの様相を呈する。私が生まれた1921年は、失敗に終わった「シベリア出兵」(対ソ干渉戦争)の「一時」切り上げをきめた年であった。
 一方、時代の趨勢で、河上 肇『社会問題研究』が創刊されたり、大原社会問題研究所が創立されたりしているのが、前年の1919年である。また、『種蒔く人』第一次が創刊されたり、自由学園設立、自由法曹団結成、日本青年館設立、信濃自由大学(上田)に設立、『思想』創刊が1921年でもあった。そして、ロシア共産党が新経済政策(ネップ)への移行を決定、中国では上海で中共1全大会、イタリアでファシスト党成立、モンゴル人民政府成立、海軍軍縮と極東問題のためのワシントン会議、そして中国の魯迅
Q正伝』発表、アイルランド自由国成立承認の1921年でもあった。
これらが象徴する世界―日本の変動は、誕生したばかりの自分にこれから押し寄せてくる世界であり日本であったのである。あとは、10才以下、板垣 雄三と同じである。彼は1931年生まれ、不思議なことに、それから10才の彼・20才の私、20才の彼・30才の私と、10年単位、彼と私の人生の区切りの年ごとに、歴史の曲がり角がやってきたのだ。自分史と世界・日本史の共時性。2010年末から始まり2011年~2012年と世界にひろがる新しい市民の目覚め、99%の異議申し立て、怒と不満の爆発。チュニジア・エジプトに始まる「アラブの春」、そしてスペイン・ギリシアなど金融資本にいじめられた市民の抗議とデモ・集会の波共鳴・共振は第三世界化している全世界に広がってゆく。  沖縄で、韓国で、中国で、インドで、ギリシアで、ドイツで、英国スコットランドで、べラルーシで、中南米で、そしてアメリカで、とくにボリビアで「母なる大地」法発効、イスラエルでも、おくれて3.11以後の日本でもフクシマの怒れる女たちの始めた<いのちの尊厳>を守ろうとする闘いが。それら民衆の目覚めと立ち上がり。その2011年、彼は80才、私は90才というそれぞれの区切り目。その区切り目の年2011年の特徴を板垣は指摘する。2012年1月以降、板垣は自分の見方をたしかめる検証作業をすすめる。さらに、彼は中東で起きたムワーティン(市民)革命について考えるための着眼点を整理する。これは、中東を知るためのカギともなろう。
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スラームは世界史的に超近代性(スーパーモダニティ)の土台を展開させはじめた。ヨーロッパの近代はそのような展開のローカルな現れだった。だがヨーロッパは、イスラーム文明からおおくを学ぶことで拓いたヨーロッパの近代を、世界史のなかの排他的な中心=模範としてすえつけ、近代はヨーロッパからひろまっていくのだという「語り」を武力でもって裏付けるようになった。これが欧米中心主義である。いま、世界中で市民たちが立ち上がり、その多角的な共鳴・共振が、無限大のネットワークを形づくりつうある。板垣のいうことは、一つ経産省前テントで実験されつつあるようだ。
世界は、いま激変のときを迎えつつあります。
いま、必要なのは惰性にひきずられない新鮮な思想と行動力です。
学校でならうことが、そのままでは役に立たなくなります。未来の学校で教えなければならない知識をつくりだしていくのは、みなさんです。そして、結びに板垣は、<無責任体制が根強い日本社会ですが、19世紀には<明治維新の「世直し」を完成しようとした自由民権運動=自由を求める民衆決起がありました>として、東北、わけても福島県が、四国の高知県と並んで自由民権運動の一大中心だったこと。二つの地域を結ぶ草の根の若者たちの往来・遊学が活発に行われたこと。運動の大衆化が進む中で、十代末から二十代初め、今で言えば高校生・大学学部生の年代の活動が目立ったこと。1882(明治15)年の福島事件と1887(明治17)年の秩父事件、二つの大きな大衆蜂起の中間に福島の若者たちの企てた加波山事件。そこで発表された革命宣言をあげている。そして、<これを起草した琴田岩松は1886(明治19)年絞首台の露と消える、享年24歳。福島事件の前後、演説で活躍していた彼は18~19才だった。大日本帝国憲法発布は1889(明治22)年。板垣は最後にこう書いている。<新しいムワーティン革命が世界にひろがる時代、日本の若者はどんな新しい生き方、どんな新しい社会の変え方をしてみせるでしょうか。>
                       
(あと2回つづく)
【参考】
毎日新聞2012年2月27日東京夕刊、特集ワイド「かつて水俣を、今福島を追うアイリーン・美緒子・スミスさんに聞く」{水俣と福島に共通する10の手口}-
1.誰も責任をとらない/縦割り組織を利用する 
2.被害者や世論を混乱させ「賛否両論」に持ち込む 
3.被害者同士を対立させる 
4.データを取らない/証拠を残さない
5.ひたすら時間稼ぎをする 
6.被害を過少評価するような調査をする 
7.被害者を疲弊させ、あきらめさせる 
8.認定制度を作り、被害者数を絞り込む
9.海外に情報を発信しない 
10.御用学者を呼び、国際会議を開く-以上、
みんな3.11以降、わたしたちがいやというほど見聞し体験させられた。

国立国会図書館憲政資料室加波山事件関係資料(MF:個人蔵)
 国立国会図書館憲政資料室加波山事件関係資料(所蔵)
 茨城県古河市西公民館図書室
東北文庫岡田 益男「福島事件」

戸井昌造秩父事件を歩く秩父困民党の人と風土
(新人物往来社、2005年)ISBN 4404032471
戸井昌造『秩父事件を歩く秩父困民軍の人と闘い』
(新人物往来社、2005年)ISBN 440403248X
戸井昌造『秩父事件を歩く秩父困民軍の戦いと最期』
(新人物往来社、2005年)ISBN 4404032498
石井孝明治維新と自由民権』(有隣堂、1993年) 
ISBN 4896601157
色川大吉明治の文化』(新版・岩波現代文庫、2007年)
ISBN 9784006001681

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2012年4月18日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(3)

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              吉田 悟郎
(旧制成城高校新聞部OB)

 が <終りの終り>と<始まりの始まり>と文学的・感覚的に指摘していたことが大分はっきりしてきたと思う。
<
終り>は、<野蛮化・地獄化>の終焉であり、三木亘の言葉では<軍事的・差別的 抑圧的 メタ文明>の崩壊であり、欧米日の近現代文明のゆきづまりである、怒れる福島の女たちの表現では<原発いらない福島の女たち>である。原発そして核=核兵器は野蛮化・地獄化した現代文明の極致であり、象徴である。これの廃棄こそは、今太平洋を<死の海>に変えつつある 汚染された列島に生きる私たち日本の市民の人類に対する責任であり、義務でもある。
これが、わたしたち列島に住む市民たちに課せられた責任であり、義務でもある。こうして、わたしたち日本の市民は、期せずして <始まりの始まり>の大事な一端を担うことになったといえよう。
板垣雄三が説くように、いま全世界にひろがりつつある
<新しい市民(ムワーティン)革命>は、「多即一」
 タウヒードの理念の上に立つと、世界は「欧米対イスラーム」といった二項対立ではない。
界は公正と平和・正義を求める市民たちの立ち上がりの、それこそ、多角的な共鳴・共振が無限大のネットワークを形づくりつつある。そういう激変する未知の世界史に わたしたち市民は 生きつつあるのではないか
 れた写真家広河 隆一責任編集の写真雑誌『DAYS JAPAN』四月号に畏友板垣 雄三の新稿「十代の若者たちにあてた手紙」がある。年は私より若いが、板垣雄三は三木亘とともに1970年代から始る私の中東学習の先生であり、今度の板垣の<若者にあてた手紙>も 私が板垣から学んだ中東学習・世界史学習の集大成みたいなもの、よきおさらいのような仕事である。2010年末にはじまり2011年から2012年そして今日も全世界にひろがりつうある 新しい市民のめざめと立ち上がりを総括しつつ、わが日本でも<フクシマの怒れる女たち>の「とつきとおか」の抗議と泊まりこみ、ハンストなどのたたかいがその大事な一翼をにないつつあるのではなかろうか、という<人類史の新段階>を語りだしている。彼のいう『人類史の夜明けの虹の話』をこれからじっくり読んでみよう。
                                    20124.15記
。(つづく)

新しい市民革命のいい実例の記録ですネットで探してぜひ読んでください。すばらしい写真も豊富です。
童子丸開「銀行家どもに食いつぶされる欧州 
ポール・クレイグ・ロバーツ論文和訳」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ)
第8話(最終回):「旅人に道はない。歩いて道が作られる。」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ) 
第7話:5月15日から10月15日への「長征」

童子丸開「515スペイン大衆反乱:15M(キンセ・デ・エメ) 
第6話限界、分裂、そして広がり」

童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):
第5話世界に広がる「スペイン革命」】」

童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):
第4話:暴力反対!】」

童子丸開「515スペイン大衆反乱(キンセ・デ・エメ):
第3話:広場を取り戻せ!】」

童子丸開 第二話プエルタ・デル・ソルへ!
童子丸開
第一話バンケーロ、バンケーロ、バンケーロ

三木亘 世界史のなかのイスラム世界 東洋経済
『イスラム世界の人びと1総論』所収1984

童子丸開のは「ちきゅう座」のサイトから読めます
Peace Philcom,osophy Centre(カナダ バンクーバー) April 08, 2012
Sunday
日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった: 田中利幸バンクーバー講演録
世界終末時計 WIKIPEDIA 

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2012年4月17日 (火曜日)

ある風景

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2012年3月21日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(2)

1_edited1_5         吉田 悟郎 (旧制成城高校新聞部OB)

 
『Forum高校生新聞の読者の方には重複される方がいるかもしれない
が、わた
しの生き甲斐みたいなホームページで2001年4月に始めた『毎
日更新ブナ林
 便り』は、来る4月で11年目を迎える。お約束の『Foru
高校生新聞
』の続稿
がのびのびになっているのも、2011年3月11日
来の未曾有の危機の中 で、特に原発問題の諸情報へのアンテナ張りとその
収集と整理という仕事のせいである、そこで、いま始めている一番大事
な仕事を少しご覧になってい
 ただこうと考えた。すでに『ブナ林便り』をお
読みの方には重複するかもしれ
ないが、ご勘弁を願いたい。
                   

2011年12月12日から不定期でつけはじめた日録に名前をつけることに
しました。『祖父が孫娘に語る乱世世界史』という名前です。私は2012年
2月で91歳になる老輩、次女の娘である孫娘「あやちクローデル」は浅草に
住み、老輩に手ほどきでツイッターなるものを伝授してくれました。イタリア
人の音楽家Gianni Gebbiaがつくった『浅草のブレヒト』(鎌倉ZEN映画祭
で2
位、準グランプリになりました)に出演、楽曲提供もしている孫娘です。
また、≪吉田悟郎のブナ林便り・転》を発案・制作してくれている、頼もしい
ネチズンです。

                                                                              

『祖父が孫娘に語る乱世世界史 ―悟郎じぃじ から あやちクローデル へ― 
わたしたちは生きてきた1945年から今日までを戦国乱世とは思ってきませ
んでした。戦勝国米国の従属国・属国として戦争帝國の余沢にあずかり、のう
のうと「平和に」生きてこられたからです。実は1945年以降も沖縄で、朝
鮮半島で、中国で、そして旧ソ連をめぐっても、東北アジア・東南アジアで、
そしてインド・中東でも、中南米でも、はてはバルカンでも戦国乱世は続いて
きたのです。私たちは、そういう戦国乱世の世界を対岸のひとごとのように感
じさせる、いつわりの「歴史」「世界史」を教えられてきたのです。マスメデ
ィアも同様、私たちを眠らせてきたのです。1945年以来戦国乱世が続いて
いることを、沖縄の人々は実感で味わってきました。近ごろやっと「本土」の
わたしたちも沖縄の人たちの闘いによって「平和」ではなかったことを悟りは
じめました。そして2011年3月11日以降、のうのうと「平和」を満喫し
てきた日本列島の人々、とりわけ東日本に住む人々も、「この日本列島全体が
「平和」なんかではない、まるで戦国乱世なのではなかろうか」という実感を
持ち始めているのです。そしてあらためて実世界に眼を開き始めると、どうで
しょう。
                                       

最初に『毎日更新ブナ林便り』のIndexに載せた文章を読んでもらいましょう
少し長いけれども、「乱世世界史」の日々を瞥見する試みに誘われる糸口に
るかと思います。
                                       

【『毎日更新ブナ林便り』index 】より。
いま野蛮化・地獄化しつくした「近代世界」の崩壊を私たちは目の当たりにし
ています。この数百年に一度しかな
い、眼前に繰り広げられる破局そして転換
を、しかと記録に刻んで行きたいと
思います。激変は、日々ではなく、時々刻
々、進んでいます。更新は刻々行わ
ねばなりません。愛読者の皆さま この世
界の地鳴りに耳を澄ませていきましょ
う。
ヒロシマ・ナガサキ―最初の核の使用、沖縄戦に象徴される民間人を巻き
込ん
だ凄惨な地上戦、全国非武装諸都市への無差別爆撃
  私は幾年か前から、

れら私たちの体験は「野蛮化した近現代文明」の「終わりの始まり」と感じ

、私の世界史の中にそう位置づけてきました。そして、この2011年3月

1日、はからずもその「終わり」という画期を迎えたと感じます。極東の島

を襲った大変な地殻変動。同時にユーラフロアジアの西方、北ア―中東の

の違った地殻変動。鶴見俊輔は言っています、「これは、日本文明の蹉跌だ

ではなく、世界文明の蹉跌につながるという想像力を、日本の知識人はもつ

とができるのか」、そして「<敗北力>を持とう」と説いています。まこと

然りと同感します。そうだ、2011年が「終わりの終わり」という画期に

たのです。さあ、私たちは日本を、これから、そして人類は世界を、新し
く生
まれ変わらせることができるのでしょうか? 数万人の死者、さらに多く
の被
災者と共に、「終わり」から脱出して、新生の世界史に歩を進めることが
でき
るのでしょうか。(以上『毎日更新ブナ林便り』
indexから)
                    

【2012年3月11日】日録より。
昨日3月10日は一回目の東京大空襲の 日だ。二回目の5月の大空襲で私の
東松原の家も罹災した。四年前『Forum高校生新聞
』に書いた文章がある。
下記に、再録してみる。
 
世界史の野蛮化・地獄化の<終わりの始まり>
白樺湖の二谷さんから新しい『白樺便り』をいただいた。その冒頭に「TBS
系とNTV系とで東京大空襲に関するドラ
マが放映された。TBS系では空襲
罹災の33枚の写真を撮った石川光陽の物
語に仕立てられていた。他方NTV
系の二夜連続のドラマはいくつかのエピソー
ドをつないだものだが、歴史考証
には、吉田裕氏の名があった。植民地下の朝
鮮人の動きを織り込んだものだった。・・・・3月10日の無差別爆撃計画は、関東大震災に学んで同じ場所・
範囲を標的にし、油脂焼夷弾を使用した。言問
橋の悲劇が作られたのであった。
無差別・絨毯爆撃が平然と行われたことが、
ドラマであきらかにされている。
小生が隅田川を挟んで、反対側に住んでいた
ことを思い出す。」
私もこの東京大空襲のドキュメントとドラマは見た。戦犯カーチス・ルメーの
顔とクラスター式焼夷弾が無気味な音をあげて低空からばらまかれる地獄も再
びしかと見届けた。ドラマは5月25日の大空襲も扱っており、余り知られて
いないトンネルの野蛮な機銃掃射も再現されていた。上野駅近くで機銃掃射に
やられる女主人公が<もうこんなひどいことはおしまいにしてくれ>という死
に際の悲痛の言葉は胸を打つ。この歴史の再現の試みはヒットだと思う。東京
大空襲はその野蛮性と地獄性がたくみに隠されてきた。昭和天皇の眼からも、
東京のド真中に居りながら石川光陽が写した亡骸は隠された。いっしょに見た
人は「私たちは運良く生き残ったのね」と洩らした。私自身は二回目の学徒
陣で運良く外地に行かず東京と横浜で軍隊生活を送れた。
3月-5月の東京大
空襲と5月29日の横浜大空襲は軍隊で身近に体験した。
5月の東京空襲で
は留守宅の兄夫婦、二人の年寄りは被災し留守宅の私の蔵書
・レコード類は灰
燼と化したが、わが身は無傷で生き延びられた。無差別・絨
毯爆撃・クラスター
式ナパーム焼夷弾の野蛮性・地獄性は十分全身で味わった。
世界史の野蛮化と
地獄化を犠牲になり死んでいった者も生き残れた者も体験し
たのである。その
後の硫黄島・沖縄、ヒロシマ・長崎・・・その延長である。
ふりかえれば、こ
れは世界史の野蛮化・地獄化の終わりの始まりであった。こ
の終わりは20世
紀末期から21世紀初頭にかけてまだ終ってはいない。いま
この世界史の野蛮
化・地獄化を最悪の形で味わわされているのが、中東-イラ
ク戦争5年下のイ
ク民衆であり封鎖されたガザ-西岸-東エルサレムのパレス
チナ人である。

そして、かれらは世界の無視と沈黙の中で、この世界史の野蛮化と地獄化を終
らせようと戦い続けている。戦後の日本は、果たして世界史の野蛮化・地獄化
とは無縁になっているのだろうか? 沖縄を見よ、本土とともに、おとなにと
ってもこどもにとっても形を変えた<戦争状況下>の日常を、「新自由主義」
の構造改革後、「日米軍事体制再編」以後、体験させられているのではなかろ
うか。もちろん、こういう世界史の野蛮化・地獄化を全面的に終息させる≪別
の世界は可能だ≫という思想と運動が東西を逆転させ、南北を転換させ、野蛮
化・地獄化の元凶を追い詰め、世界史の野蛮化・地獄化をもたらした構造をひ
っくりかえそうと育ちつつある。ようやく、世界史の野蛮化・地獄化が音をた
てて
倒壊する時代が近づきつつある。
                        

【2008年3月22日】日録より イラク戦争5年。もちろん、あの戦争
日本が、アジアの東北から東南にかけて果てはインパール・セイロン・アン
マンまで、一方太平洋の西半にわたり、日中戦争・「満州国」から、真珠湾
撃で先に侵略戦争を始め、アジア―太平洋の諸地域・人々に多大の迷惑を加
え、
欧米帝国主義と同じ損害・差別・抑圧を行った歴史は消去できない。私は
軍隊
にとられる前、学生の時に、下北沢のなじみの古本屋で見つけたのが、満
鉄調
査部の訳したソ連の研究者モトゥイレフの『太平洋をめぐる日米帝国主義
の激
突』だった。実際の日米の激突の始まる何年か前のことである。とにかく
まだ
アメリカの大統領はヒロシマを訪れてはいない。
                    

昨日、新刊の『 世界が見た福島原発災害・3 』を長女が購入してきてくれた。
沼安史さんが訳編した新刊で、「いのち・女たち・連帯」という副題がつい
いる。その末尾に「始まりのためのエピローグ」がおかれている。もちろん、
日本での「始まり」を試みているフクシマの女たちのことである。2011年
~2012年は まさに<終りの終り>の始まり、同時に<始まりの始まり>
の始まった年になった。今日は福島原発事故一年、テレビは朝から現地からの
報道番組。福島に本当に「一年」はあったのだろうか。
                  
 2012年3月16日 よしだ ごろう

 

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2012年3月18日 (日曜日)

高校新聞の現状について

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上杉 隆(自由報道協会:代表)氏がラジオ番組(ソコトコ/文化放送)
で「高校新聞」に関して発言しています。

上杉氏は、3月6日福島で開かれた「福島県高校新聞大会」で講師を
た経験を元に話をしています。

現在の高校新聞に関する資料として。
http://uesugiweblog.blog55.fc2.com/blog-category-4.html#entry328

上杉隆氏講演会 福島県高校新聞大会での録画もありますので、併せ
て視聴してみて下さい。

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2012年2月16日 (木曜日)

ある風景

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2012年2月15日 (水曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり【二】-(1)

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        吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

 

 

 
 畏友目良誠二郎さんは幼時福島県の浜通りに育った。彼は比較史・
比較歴史教育研究会で知り合い、いろいろ議論もしあった学友である。彼は歌人でありカメラマンでもあり、3・11以後特に原発・核汚染・フクシマの喪失については、日々詠い日々写す大事なテーマにしている、賀状に選んだ歌を少しのせてみたい。

大地揺れ海の襲ひて原発の危機に頻せる吾がふるさとよ(3/11)

花見なば思ひ起こせよフクシマの見る人もなく咲き散る花を4/21)
山笑ふ笠間に遊びフクシマの訪ふことできぬ故郷思ふ(5/4)
大熊も双葉・浪江も富岡も町(まち)にしありて町(ちやう)にはあらず
(8
/2)

フクシマよ奥羽陸奥(みちのく)東北よ生ぎよ負げんな吾がふるさとよ(7/8)野馬追を訪へば旅路に鳴りつづく計器ありたりウクライナ製の(7/24)
改めてフクシマ問ひぬヒロシマとナガサキの日に非核の意味を(8/9)
黄金なす瑞穂の湖(うみ)よ美しき汝をば汚せしを悪みぬ(9/30)
んだんだとつぶやき聴きぬがんぱっぺがんばっぺとふ故郷の声を(11/7)
名を知れば愛しきいのち野に潜み人世のおごりしばし忘れぬ(11/18)
よくぞまあまた来てくれぬ鴨たちよほるか北から苦難の国へ(12/2)

2011年はたいへんな年だった。
私は『ブナ林便り』で「終りの終りの始まり」の年と名づけた。
そして、同年2011年は「始まりの始まりが始った」年だと思う。
霞ヶ関の経産省前のテントで、すわり込み「とおかとにち」を続ける
フクシマの「未来を孕む女たち」がそれを示していると思う。目良さんのすすめで南相馬市に住んでいて、今福島市に移り、住んでいる詩人若松丈太郎さんのことを知り、昨年出た彼の著書『福島原発難民』(副題 南相馬市・一詩人の警告1971-2011年)2011コールサック社と、彼を“預言者の詩人”と名付けたアーサー・ビナードさんが若松さんと英和二ヶ国語で編み、一篇ごとに斉藤さだむさんの写真をつけた『ひとのあかし』2012清流出版を買ってきてもらった。
いま、フクシマで起きていることをすべて18年も前に見通して歌った詩人の本を読み始めている。(続く)

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2012年2月 5日 (日曜日)

内海信彦です。

Utsumi_nobuhiko121

7m80㎝の新作"Innnerscape2012:Fukushima"を出品します。
よろしければぜひご覧ください。

2012.2.6(mon)-2.18(sat)[ 日曜祝日休廊
新生2012 VOL.3
内海信彦 UTSUMI Nobuhiko
佐藤忠 SATO Chu
福原栄子 FUKUHARA

ギャラリーなつか GALLERY NATSUKA
東京都中央区京橋3-4-2 フォーチュンビル・1F
phone:03-6265-1889 / fax:03-6265-1884
e-mail:gnatsuka@mbr.nifty.com

<開廊時間>
11:00a.m.~6:30p.m.(土曜日5:00p.m.)
日曜休廊

◆東京メトロ
 京橋駅(銀座線) 1番出口より徒歩3分
 銀座一丁目駅(有楽町線) 3番/7番出口より徒歩3分
◆JR
 有楽町駅 京橋口より徒歩5分
 東京駅 八重洲南口より徒歩8分

http://homepage2.nifty.com/gallery-natsuka/natsuka/2012/shinsei-3.html

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2012年1月23日 (月曜日)

壊されたふるさと、新聞で伝えた 福島の高校が最高賞

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「高校新聞の甲子園」と呼ばれる全国高校新聞コンクールで今年、最高賞に選ばれたのは、東日本大震災の被災地、福島県相馬市の県立相馬高校の「相馬高新聞」だ。生徒たちは震災後の休校の間、被災地を取材に駆け回り、静まりかえる校舎で黙々と紙面づくり。学校再開の日、仲間に伝えた。

 
最高賞の文部科学大臣奨励賞の知らせに、出版局長の3年、馬場健史郎さん(18)は驚きを隠さなかった。全国の常連校が上位に名を連ねる中にあって無名の存在。「目の前のとてつもない出来事をひたすら淡々と伝えようとした結果が評価されたのでしょうか」
 
津波による死者、行方不明者が458人を数える相馬市。全6ページの紙面は、1面で震災当日に学校で起きた出来事のドキュメントや、学校行事と部活動の今後の見通しを伝えた。特集面では「ふるさとが壊されていく」との見出しで、沿岸地域の津波の惨状を5枚の写真とともにルポした。
 
このページを担当したのは3年の今村有香さん(18)。道路に積み重なる膨大な量のがれきや陸に打ち上げられた漁船、消えた防波堤。震災11日後の3月22日に道路が開通すると、自宅から5キロの海岸部まで4日続けて通い、自転車で走り回って、写真を撮った。「何が起きたのか、記録しないではいられなかった」
 
顧問の武内義明教諭(54)は「普段無口な彼女が急に『撮ってきました』と写真を持ってきて驚いた。これを機に『いつかわからないが、学校再開時に新聞を発行しよう』と決まった」と話す。
 
3年生4人が無人の学校で原稿を書いた。いつもはにぎやかな校内で「うるさいな」と思いながら編集作業をしていたが、寂しさに包まれた何とも言えぬ雰囲気の中で、「この状況が伝わるよう、何度も何度も見出しを取り換えた」。
 
38日ぶりに学校が再開した入学式前日の4月18日、新聞を全校に配った。 新聞は審査委員会から「日常の暮らしが断たれたなかで、被災の現実を追跡し、記録し、圧倒的なレイアウトの紙面を学校再開の日に届けた」と評された。
 
馬場さんは「精神的につらい日々だったが、同級生から『すごい』と驚かれ、いつもと違って誰もが捨てずに持ち帰ってくれた。やってよかったと思った」と振り返った。
コンクールは大東文化大主催、朝日新聞社後援で、41回目
『引用;朝日新聞』より。

資料;福島民報』『大東文化大学

                  【投稿:犬飼 守(日大高OB)】

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2012年1月15日 (日曜日)

高新連のこと

Ymok014_3 高新連のこと

                        

             山岡 伸一高知県土佐中高新聞部OB) 

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2012年1月 1日 (日曜日)

迎春

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2011年12月 5日 (月曜日)

内海信彦展

H1170_01_2池田龍雄作)

内海です。1985年以降の作品を出品します。
今見ると今日的なカタストロフが予兆されているように思えます。
ぜひご覧ください。

画廊香月オープニングシリーズvol.4
内海信彦スペシャル「
マルチヴァ―ス
Utsumi Nobuhiko special
2011.12.3(sat)―12.18(sun)
13:00―19:00 [水・木 休廊]

...
初日17:00~ オープニングレセプション
12/10(sat) 16:00〜18:00
 対談 内海信彦×
池田龍雄「3.11後の日本と芸術」
 参加費 2000
円(ワイン付)15人限定

   宇宙はユニヴァースではなく
   マルチヴァースつまり複数存在していると
   私は考え、30年ほど制作を続けてきた。

   私は、香月人美さんの新しい画廊で
   このようなテーマで小品展を開く。

画廊香月
中央区銀座1―9―8奥野ビル605
03-5579-9617

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2011年11月29日 (火曜日)

アニメを更新しました。

Photo_2 トップ画面のアニメを更新しました。

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2011年11月21日 (月曜日)

中国短期留学と一人旅(8)

Img_5360_1_2           谷口 一三慶應高校新聞会OB


 雲南省は常春の国と言われ、何時も過ごしやすい。高度2000メートルの高原で、南にありながら空気は澄み切り夏も涼しい。少数民族も多く此処、石林も如何にも中国の景色である。少数民族は此処では観光で生活していると推測される。勿論民族大学もあり一人っ子政策の中で、制限無く子供をもうけることが出来ると聞いています。今年訪れ2008年ごろと異なることは、日本人は殆ど見かけず、中国人の旅行者が増えたことです。石林だけでなく、雲南省の大理麗江も中国人旅行者が多く、長距離の寝台車の切符確保が難しい。欧米人が多いのも相変わらずでした。
 以前の古い写真はだんだん記憶も薄れてきました。今年の雲南省を初め各地の最新の写真、レポートを使えたらと思います。数年前の中国では、変化が激しく大きく変わっています。数年前の旅行案内書は殆ど役に立たないと言っても過言ではありません。
Img_5496_4 【2007年7月10日(火曜日)】
 
麗江古城市内は、こんな案内板が沢山あります。リー族ドンパ文字で書かれています。 麗江の古城は石畳の狭い、通路と古い建物の小さな町です。車は入れません。歩いて、街中を歩けます。迷路のようで迷子が心配でしたが、町が小さいので心配ありませんでした

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2011年11月20日 (日曜日)

安達太郎通信・天上の炎

Oouti0_2               大内 文一(新聞教育研究所 所長)


安達太郎通信・天上の炎35号

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2011年11月19日 (土曜日)

中国短期留学と一人旅(7)

Img_5387_4             谷口 一三慶應高校新聞会OB

 
 私の漢語の勉強は教室より、レストラン、商店、バス、汽車や街角が殆どです。レストランでは従業員が他のお客のサービスを停止して、私に専念してくれることがとても多い。日本でしたらその人ばかりがお客で無いぞとお叱りを受けること必至です。しばしば商店、レストランで、一時間~二時間の漢語勉強と日本語のレッスンをしました。バスの中、汽車でも多くのお客が私を取り巻いてくれました。

 マイクロバスの観光バスでは「おはよう、今日は、さようなら」のレッスンで概ね、三時間ほど。必ずと聞かれるのは、「めしの意味と馬鹿野郎」の意味です。知らないと答えることにしていますが、たくさんのチャンネルの中で未だ何処かのテレビで日本軍が中国人を殺す番組で出てくる場面があります。何故か戦争番組が大好きのようです。初めは不気味に思いましたが最近は慣れました。反日感情と結びつけた話を日本人から良く効きましたが余り関係なく、西遊記、アニメを見るのと同じように楽しんでいるようです。にこやかな彼女もそんなテレビをたのしみを、私とそんな話を取り交わしてした気がします。

3_2 【2006年9月11日(月曜日)】
 
隣の席に座った母親と娘に話しかけ、一時間余り会話と楽しい夕食ができました。話し合っている時も、親子が帰った後も、服務員が入れ替わり立ち代り席に来てくれて、退屈など無関係な会話の勉強時間でした。他の客の迷惑を考え、食べながら飲みながらの中国語会話は三時間近くになりました。ビール二本と、餃子15個ほどで凡そ、400円足らずの夕食でした。(長春の繁華街、人民大街の地下餃子専門店にて。)

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2011年11月15日 (火曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり

Photo_2             吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

新連載「始まりの始まりも、今はじまったばかり」は不定期連載とします。
理由は、筆者多忙の為です。

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                             高新連HP 編集委員会

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