2012年1月23日 (月曜日)

壊されたふるさと、新聞で伝えた 福島の高校が最高賞

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「高校新聞の甲子園」と呼ばれる全国高校新聞コンクールで今年、最高賞に選ばれたのは、東日本大震災の被災地、福島県相馬市の県立相馬高校の「相馬高新聞」だ。生徒たちは震災後の休校の間、被災地を取材に駆け回り、静まりかえる校舎で黙々と紙面づくり。学校再開の日、仲間に伝えた。

 
最高賞の文部科学大臣奨励賞の知らせに、出版局長の3年、馬場健史郎さん(18)は驚きを隠さなかった。全国の常連校が上位に名を連ねる中にあって無名の存在。「目の前のとてつもない出来事をひたすら淡々と伝えようとした結果が評価されたのでしょうか」
 
津波による死者、行方不明者が458人を数える相馬市。全6ページの紙面は、1面で震災当日に学校で起きた出来事のドキュメントや、学校行事と部活動の今後の見通しを伝えた。特集面では「ふるさとが壊されていく」との見出しで、沿岸地域の津波の惨状を5枚の写真とともにルポした。
 
このページを担当したのは3年の今村有香さん(18)。道路に積み重なる膨大な量のがれきや陸に打ち上げられた漁船、消えた防波堤。震災11日後の3月22日に道路が開通すると、自宅から5キロの海岸部まで4日続けて通い、自転車で走り回って、写真を撮った。「何が起きたのか、記録しないではいられなかった」
 
顧問の武内義明教諭(54)は「普段無口な彼女が急に『撮ってきました』と写真を持ってきて驚いた。これを機に『いつかわからないが、学校再開時に新聞を発行しよう』と決まった」と話す。
 
3年生4人が無人の学校で原稿を書いた。いつもはにぎやかな校内で「うるさいな」と思いながら編集作業をしていたが、寂しさに包まれた何とも言えぬ雰囲気の中で、「この状況が伝わるよう、何度も何度も見出しを取り換えた」。
 
38日ぶりに学校が再開した入学式前日の4月18日、新聞を全校に配った。 新聞は審査委員会から「日常の暮らしが断たれたなかで、被災の現実を追跡し、記録し、圧倒的なレイアウトの紙面を学校再開の日に届けた」と評された。
 
馬場さんは「精神的につらい日々だったが、同級生から『すごい』と驚かれ、いつもと違って誰もが捨てずに持ち帰ってくれた。やってよかったと思った」と振り返った。
コンクールは大東文化大主催、朝日新聞社後援で、41回目
『引用;朝日新聞』より。

資料;福島民報』『大東文化大学

                  【投稿:犬飼 守(日大高OB)】

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2012年1月15日 (日曜日)

高新連のこと

Ymok014_3 高新連のこと

                        

             山岡 伸一高知県土佐中高新聞部OB) 

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2012年1月 1日 (日曜日)

迎春

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2011年12月 5日 (月曜日)

内海信彦展

H1170_01_2池田龍雄作)

内海です。1985年以降の作品を出品します。
今見ると今日的なカタストロフが予兆されているように思えます。
ぜひご覧ください。

画廊香月オープニングシリーズvol.4
内海信彦スペシャル「
マルチヴァ―ス
Utsumi Nobuhiko special
2011.12.3(sat)―12.18(sun)
13:00―19:00 [水・木 休廊]

...
初日17:00~ オープニングレセプション
12/10(sat) 16:00〜18:00
 対談 内海信彦×
池田龍雄「3.11後の日本と芸術」
 参加費 2000
円(ワイン付)15人限定

   宇宙はユニヴァースではなく
   マルチヴァースつまり複数存在していると
   私は考え、30年ほど制作を続けてきた。

   私は、香月人美さんの新しい画廊で
   このようなテーマで小品展を開く。

画廊香月
中央区銀座1―9―8奥野ビル605
03-5579-9617

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2011年11月29日 (火曜日)

アニメを更新しました。

Photo_2 トップ画面のアニメを更新しました。

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2011年11月21日 (月曜日)

中国短期留学と一人旅(8)

Img_5360_1_2           谷口 一三慶應高校新聞会OB


 雲南省は常春の国と言われ、何時も過ごしやすい。高度2000メートルの高原で、南にありながら空気は澄み切り夏も涼しい。少数民族も多く此処、石林も如何にも中国の景色である。少数民族は此処では観光で生活していると推測される。勿論民族大学もあり一人っ子政策の中で、制限無く子供をもうけることが出来ると聞いています。今年訪れ2008年ごろと異なることは、日本人は殆ど見かけず、中国人の旅行者が増えたことです。石林だけでなく、雲南省の大理麗江も中国人旅行者が多く、長距離の寝台車の切符確保が難しい。欧米人が多いのも相変わらずでした。
 以前の古い写真はだんだん記憶も薄れてきました。今年の雲南省を初め各地の最新の写真、レポートを使えたらと思います。数年前の中国では、変化が激しく大きく変わっています。数年前の旅行案内書は殆ど役に立たないと言っても過言ではありません。
Img_5496_4 【2007年7月10日(火曜日)】
 
麗江古城市内は、こんな案内板が沢山あります。リー族ドンパ文字で書かれています。 麗江の古城は石畳の狭い、通路と古い建物の小さな町です。車は入れません。歩いて、街中を歩けます。迷路のようで迷子が心配でしたが、町が小さいので心配ありませんでした

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2011年11月20日 (日曜日)

安達太郎通信・天上の炎

Oouti0_2               大内 文一(新聞教育研究所 所長)


安達太郎通信・天上の炎35号

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2011年11月19日 (土曜日)

中国短期留学と一人旅(7)

Img_5387_4             谷口 一三慶應高校新聞会OB

 
 私の漢語の勉強は教室より、レストラン、商店、バス、汽車や街角が殆どです。レストランでは従業員が他のお客のサービスを停止して、私に専念してくれることがとても多い。日本でしたらその人ばかりがお客で無いぞとお叱りを受けること必至です。しばしば商店、レストランで、一時間~二時間の漢語勉強と日本語のレッスンをしました。バスの中、汽車でも多くのお客が私を取り巻いてくれました。

 マイクロバスの観光バスでは「おはよう、今日は、さようなら」のレッスンで概ね、三時間ほど。必ずと聞かれるのは、「めしの意味と馬鹿野郎」の意味です。知らないと答えることにしていますが、たくさんのチャンネルの中で未だ何処かのテレビで日本軍が中国人を殺す番組で出てくる場面があります。何故か戦争番組が大好きのようです。初めは不気味に思いましたが最近は慣れました。反日感情と結びつけた話を日本人から良く効きましたが余り関係なく、西遊記、アニメを見るのと同じように楽しんでいるようです。にこやかな彼女もそんなテレビをたのしみを、私とそんな話を取り交わしてした気がします。

3_2 【2006年9月11日(月曜日)】
 
隣の席に座った母親と娘に話しかけ、一時間余り会話と楽しい夕食ができました。話し合っている時も、親子が帰った後も、服務員が入れ替わり立ち代り席に来てくれて、退屈など無関係な会話の勉強時間でした。他の客の迷惑を考え、食べながら飲みながらの中国語会話は三時間近くになりました。ビール二本と、餃子15個ほどで凡そ、400円足らずの夕食でした。(長春の繁華街、人民大街の地下餃子専門店にて。)

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2011年11月15日 (火曜日)

始まりの始まりも、今はじまったばかり

Photo_2             吉田 悟郎(旧制成城高校新聞部OB)

新連載「始まりの始まりも、今はじまったばかり」は不定期連載とします。
理由は、筆者多忙の為です。

Twitter】【ブナ林便り日々更新していますので、よろしくお願いします。

                             高新連HP 編集委員会

                             Ki

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2011年11月13日 (日曜日)

ある風景

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2011年11月12日 (土曜日)

中国短期留学と一人旅(6)

3_2_2           谷口 一三慶應高校新聞会OB


  遼寧省の州都瀋陽に近い大石橋駅から、更にタクシーで30分ほどの静かな農村の片隅にあるモダンな家の奥さんが私のために料理を作ってくれました。
田舎に似合わない二階建てのモダンな建物でした。野菜は自家製で農薬はほとんど使わないので安全だといっていました。300坪程度の庭には沢山の野菜と鶏を飼育していました。一人っ子の娘さんは、九州に留学し卒業後、名古屋で働きそこで優しくしてくれた日本人の今の旦那さんと結婚しました。彼は中国語が不得手なので大連の遼寧師範大学で中国語を学び、そこで私も彼を通して娘さんと知り合いました。日本語が流暢な若奥様です。

その後二人のお子様に恵まれ、子供を中国で育てるか日本で育てるか夫婦で悩んだ末に、来日しました。二人目の赤ちゃんが生まれたときに、中国人の娘さんの両親が来日して、三鷹の我が家を訪ねてくれたので、山中湖・富士山と案内して今度は私の妻の手料理でもてなしました。今でも彼女の実家のぶどう棚の下でご両親の手つくりの料理の温かさは思い出します。中国政府はともかく、中国人の優しさに触れた最初のときでした。

Photo_12_2 【2006年8月16日(水曜日)】 
 
楽しみの週末です。留学生たちは、皆それぞれ予定があり、近郊などに出かけていくようです。受付初日に事務所で出会った女性に、実家の田舎に来るよう誘われていました。快く引き受け、楽しみにしていました。彼女は日本に六年間留学して、最近中国に帰国したばかりでした。名古屋で知り合った日本人に中国語を覚えてもらうために、彼に付き添ってきていたのでした。三人で行く予定でしたが、来年一月の出産を控え彼女は急遽中止となり、彼と二人旅となりました。前日、彼女の母親へのお土産のチョコレートと、父親へ白酒を求めました。チョコレートはドイツ製、白酒は60度と強くかなり香りの強いお酒です。
 家に着くと母親の手作りの料理をご馳走になりました。ぶどう棚の下にテーブルと椅子を出し、心地よい風に当たり綺麗な星空を見ながらビールと白酒で乾杯しました。ご両親は、盛んに話しかけてくれ発音を正してくれました。特に母親は、ゆっくりとわかり易い単語を用いて話しかけてくれ、最後に谷口さんの話はよく理解できたと言ってくれました。ほめられたのは、初めてで、お世辞とは言え少しでなく大いに嬉しくなりました。

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2011年11月 9日 (水曜日)

休載します。

Photo_2 「沖縄から、日本へ」

筆者多忙につき、連載を休載します。

      


                                       沖縄・首里高校『養秀新聞』
1972年-74年編集長 
                   
玉城 朋彦(たまぐしく・ともひこ) 

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2011年11月 4日 (金曜日)

中国短期留学と一人旅(5)

Img_5345_2                谷口 一三慶應高校新聞会OB

 街角で道を尋ねた時に、直ぐ近くで真直ぐな道と説明され、習慣の違いから概ね「2km以下は近く。」「2-3回の右折、左折は真っ直ぐの内。」私が小学生のころの田舎道と同じです。習慣の違いに気がついてから同行を依頼することにしました。必ず同行してくれます。このときも同行してくれました。政府同士の会話、対話には時々理解を超えますが、民間は親切で優しく感動することは度々です。一月、二月の中国旅行でバス、電車では100%席を譲られます。

                             
【2007年6月20日(水曜日)】
 
 
大観公園からバスに乗り昆明までの道を聞き、駅まで凡そ10分ぐらい案内してくれました。なるべく聞くときは、学生らしい人に尋ねるようにしています。彼女も出来るだけ普通語を話すよう心がけているようでした。写真を頼むと自ら、通行人に声をかけて撮ってくれました。段々、使う言葉が同じになってくるように感じ、語彙の少なさを感じます。

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昆明にある大観公園。二時間ほど舟で遊覧しました。船頭は少数民族です。一人で舟を出してくれました。料金は300円程度でした。

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2011年11月 3日 (木曜日)

中国短期留学と一人旅(4)

Photo_27_2_5           谷口 一三慶應高校新聞会OB

 
 遼寧師範大学での韓国からの留学生です。左の子はその後も中国に留まり上級クラスまで進み、昨年韓国に帰国しました。韓国人と日本人の結婚式にも彼女は参加して、私を歓迎して首都まで迎えに来てくれました。右端の男の子は昨年韓国の大学を卒業して損保会社で働き素敵な女友達もできて、結婚式には是非来て欲しいと言っていましたが、最近は
連絡がありません。聞くところによると大学卒業後、兵役のある人は殆ど交際を止めてしまうとのことです。右隣の女の子は韓国でモデルとして活躍していると聞いていましたが、最近は便りもなくなりました。私が韓国語が出来ないので共通語は漢語ですが、それが交流が途絶えた理由のひとつにあるのかもしれません。
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 遼寧師範大学に留学したときに、隣席で何時も面倒を見てくれていた同級生から結婚式の案内がありました。写真の男の子とその後、韓国に帰国後も愛をはぐくみ結婚の運びとなりました。(追記)

                   

2_31 【2006年7月24日(日曜日)】 
 私のクラスは、初級クラスです。クラスの日本人は長期に此方で生活している女性と、私だけです。韓国人が15~6名に、アメリカ人は一人。彼らはよく勉強していて、大学生が殆どの韓国人はとても親切です。今は「さようなら」の言葉ぐらいは皆話しまが、会話のできる人はいません。韓国語と英語での意思の疎通は、疲れますができます。 殆ど、電子辞書辞書とノート片手に会話しています。昨日は近くの焼鳥屋に14~5名で行き、ビール片手に乾杯です。二時間ほど愉しいひと時を過ごすことができました。彼ら、彼女たちは、私を部屋まで届けてくれました。皆、大変明るく学んでいます。次には日本語を勉強したいそうです。

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2011年10月30日 (日曜日)

中国短期留学と一人旅(3)

 6_3                   谷口 一三慶應高校新聞会OB

 某総理大臣が靖国神社を参拝して日韓、日中政府が緊張した次の日に周囲の反対を押し切り、江沢民が反日教育の拠点として作ったといわれる瀋陽の9.18記念博物舘を訪れました。関東軍が列車を爆破転覆させた柳条湖事件記念して出来た不戦の誓いの博物舘です。彼女とは数時間にわたり議論をし、一時は沢山の中国人に取り囲まれ、危険な雰囲気にもなりましたが、最後には握手をして、日中の友好を願って握手して分かれました。

【2006年8月27日(日曜日)】
 
 九・一八事変博物館に行くか、迷いましたが博物館を訪れることにしました。模型と関連写真で飾られ、そこそこの中国人が見学していました。日本の友人にくれぐれも気をつけるよう言われていましたが、残虐性に目を覆いたくなるものばかりです。特に所謂、中国人に対する石井部隊の生体解剖は残酷そのものです。

 見学の休憩をしている女性の隣の椅子に座り、雑談を始めました。最初の五分間は何を質問しているのか、全くわかりません。辞書とノートを片手に単語を並べ、少しは分かるようになり、三十分もすると、話しが分かりかけてきました。結局二時間ぐらい話しました。私は、過去の非行を詫びると同時に今後の日中間は、文化交流など通じもっと理解し合い協力もっと理解し合い協力してほしいと。此処も、過去のことのみでなく現在の日本の紹介、今後のあり方などの文化施設であった方がもっとよかったのでは、と提言しました。勿論お互い握手をして別れました。出口の近くに、田中角栄、大平、福田、橋本など歴代総理の来館時の写真がありました。此処での対話は、私なりにかなりの勇気が必要でした。然し此処を訪れて話し合いができたことは、今回の旅行の大きな収穫でありよき思い出になりました。

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2011年10月27日 (木曜日)

内海信彦サマースクール

322688_297677153577421_1000000541_4 「ビザンチン・コルビュジェワークショップ報告会/展示会」、
                                                  「内海信彦個展」のご案内

    

                        

   

(1)ビザンチン・コルビュジェワークショップ報告会/展示会

日時:2011年11月3日(木・祝) 13:00~17:00(11:00開場)
会場:早稲田大学早稲田キャンパス 27号館(小野梓記念館) 小野梓記念講堂
参加費:1000円(報告書・DVD付)

(2)内海信彦個展
日時:2011年11月3日~6日 11:00~17:30
会場:早稲田大学早稲田キャンパス 27号館(小野梓記念館) ワセダギャラリー
参加費:無料

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2011年10月25日 (火曜日)

希望

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東京新聞紙面にて(10月18日朝刊)

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希望9号
岩手県大船渡市立第一中学校 生徒会有志 発行

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2011年10月24日 (月曜日)

中国短期留学と一人旅(2)

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 彼女は遼寧師範大学の事務所の院長秘書でした。勿論、全く日本語は出来ません。隣の交通大学に比べて日本人留学生が少ないのでHPの原稿を変更したいので翻訳文を監修して欲しいと頼まれ、快く引き受けました。その後何かと心遣いをしてもらい、一度ならず二度、三度と遼寧師範大学に留学したのも彼女が居たからと思います。院長に提言したいと申し出たときも、直ぐに機会を作ってもらい学院長に苦言を呈したこともありました。特に印象に残っているのは当時の“某国某総理”が、「戦犯が埋葬されている神社」に参拝をした時は日中の政府間は緊張し、大連市内は反日デモが新聞・テレビを賑わいました。その時に他の数名の中国人と共に私の寮室に来て「心配するな、万一の時は私達が守るから。」と言ってくれました。大変、心強く思いました。後日彼女から「毎朝散歩の時に覚えたばかりの漢語で挨拶する礼儀正しい、日本人と評判だった。」と聞かされました。今年の年末か来年ぐらいには又、お会いできると思います。

【2006年9月7日(木曜日)】  「留学生の窓口は事務室です。」
5~6名のスタッフが入学手続き、空港での出迎え、ビサ手続きの書類その他、相談事は全てです。殆ど筆談です。事務員であり、私の会話の先生でも有り、学院長との面談などの窓口です。又、大切な友達です。友達たちは、私の留学生活を快適にするためにたくさんの力を貸してくれました。学院長に面会を申し込む友達のために即座に院長室に案内してくれました。半年先の入学許可書とビサ発給手続きも友達の為に、当初はためらっていましたが、上司と相談して即座に発行の手続きをして寮の部屋まで届けてくれました。恐縮して友達のありがたさを身にしみました。秘書は決して私の秘書でないことを言い聞かせました。彼ら、彼女たちは、私に対しても優しく親切でした。全ての人に対して、同様だと思うことにしています。

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2011年10月23日 (日曜日)

中国短期留学と一人旅(1)

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 瀋陽にある世界遺産の故宮に行くために大連から瀋陽まで寝台車に乗り合わせた女の子です。セミ籠にセミを持ち話しかけるのですがまったく中国語が通じず、多少心得のある母親が助けてくれました。車中は大切な漢語の先生です。

              

【2006年8月2日(水曜日)】

 向かいの席は七歳の女の子を連れた、40歳前後の女医さんでした。彼女はもう忘れたと言いながら、学生時代少し勉強したと片言の日本語を話しました。旦那も、大連で医者をしていると言っていました。女の子は、虫かごに入れた二匹の蝉を見せてくれました。子供とセミの発音を漢語・日本語での表現を楽しみました。

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2011年10月21日 (金曜日)

メモリー 年配者の中国短期留学

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谷口 一三 (慶應高校新聞会OB) 【年配者の中国短期留学】

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